MIN-IRENトピックス

2020年6月30日

けんこう教室 
働く人のほんとうの健康法(下)

石川 城北病院 健康支援センター所長 服部 真

石川 城北病院
健康支援センター所長
服部 真

 前回の5月号では、職業や収入などの社会的格差によって健康や寿命に大きな格差が生じ、その格差が再生産されていることをお話ししました。今回は個々人が健康になるためには社会全体が健康になる必要があること、そのための施策を紹介します。

健康診断の効果と限界

 みなさんは健康診断を受けていますか?
 健診で病気を早期に発見し健康状態を把握することにより、効果的な治療や生活の改善につなげられれば健康に役立つ効果があります。しかし、職業や収入などの「健康の社会的決定要因(SDH)」が改善されないと、治療の継続や生活の改善が困難な現実があります。
 2004年に厚生労働省が「最新の科学的知見に基づいた保健事業に係わる調査研究」を行いました。それによると、一般的な健診項目のうち死亡率減少に有効なのは「身長」「体重」「血圧」「喫煙・飲酒習慣」のみと判断されました。
 米国やEUで実施された大規模な追跡調査によって、一般的な健診や保健指導を実施しても、主な病気の発症率や死亡率に差が見られなかったことが根拠として挙げられています(資料1)。
 その後、欧米では予防施策の重点を「環境や社会・制度を改善すること」に移しました。本来ならば日本でも、予防施策として健診だけに依存せず、その費用と人材を「健康の社会的決定要因」の改善に振り向けるべきでした。ところが経済産業省の主導で08年から始まったのは、世界的に効果がないとされた特定健診・特定保健指導でした。
 特定健診ではLDLコレステロール(通称・悪玉コレステロール)の正常値は120以下とされています。しかし資料2が示すように、悪玉コレステロールが低い値でも心疾患や脳血管疾患が起こり、死亡率が最も低いのは140~159mg/dLの層であることが分かっています。
 先進国(OECD35カ国)で肥満や動脈硬化性心疾患が最も少ない日本がそれらの健診を重視していることに対して、OECDは昨年、「健診よりもがん対策やたばこ対策を強化すべき」などと提言しました。

“快”を欲する脳の仕組み

 喫煙や飲酒、食事や運動などの生活習慣を改善することが健康に良いことはみなさんご存じでしょう。でも“分かっちゃいるけど止められない”のが実態です。生活習慣を変えられないのは意志が弱いからで、それで病気になるのは自己責任でしょうか?
 知識や意志の力では生活習慣は変わらず、多くは脳の仕組みに原因があることが分かってきました。
 生活習慣には動物の本能“快・不快”をつかさどる「大脳辺縁系」、生物進化の過程でいうと古い脳が主に関わっています。知識や理性をつかさどる新しい脳「大脳新皮質」は、古い脳に直接指令を出すことはできず、「前頭前野」という部分が古い脳の興奮をなだめる役割を果たしています。
 前頭前野はストレスに弱く、ストレスが続くと古い脳の暴走を止めることができません。健康への影響を気にしながらも、“快”と感じることをして“不快”と感じることをしないのは、こういった脳の仕組みから説明できます(資料3)。みなさんにも自覚があるのではないでしょうか。
 保健指導や教育によって生活習慣を変えさせようとするのは、無理や無駄が多い手法なのです。前頭前野にかかるストレスを減らして、健康に良いことを“快”と感じる生活を送れるよう、環境や制度など「健康の社会的決定要因」を改善することが重要です。

保健予防の世界標準

 WHO(世界保健機関)はこれからの健康対策として、オタワ憲章(1986年)で「ヘルスプロモーション」を提唱しました。バンコク憲章(2005年)では、それを「人々が自らの健康とその決定要因をコントロールし、改善することができるようにするプロセス」と再定義しました。バンコク憲章は自らの健康だけでなく、その「決定要因」を改善することを追加したのです。
 日本では高血圧には「減塩」、糖尿病には「糖質制限」、生活習慣病や肥満には「運動」が、個人に対して指導・推奨されます。しかし欧米は違います。
 英国の「食塩と健康に関する合意形成運動」を紹介します。このプロジェクトでは、政府がパンなどの加工食品業界を説得し、国民が気づかないうちに毎年10%ずつ5年で40%も塩分の使用量を減らしました。すると集団の減塩効果によって、脳卒中と心臓病を約4割(年間1・3万件)減少させることに成功したのです。同様の手法でフィンランドなどでも脳卒中による死亡を8割減らしています。
 「糖質制限」については、16年にWHOが「加糖飲料税」を各国に求め、英国やEU諸国、メキシコや米国の州、フィリピンや南アフリカなど22カ国で導入されました。これらの国では飲料の糖分濃度が5%以下に下がりました。
 「運動」についても、北欧やフランス、ドイツなどで市内中心部の公共交通を充実させるとともに、自転車共有サービスや高速道路に自転車専用レーンがつくられるなど、歩行者と自転車に快適(車での移動は不快)なまちづくりが進んでいます(資料4)。
 「ストレス対策」としては、過重労働や失業、雇用が安定しない非正規労働、差別や孤立によるストレスをなくすことが最優先の課題です。長期の追跡研究で「生活を楽しんでいるかどうか」が疾病と強く関連していることも分かっています(資料5)。
 一部の幸運な人たちや裕福な人たちだけではなく、すべての人々が安心して生活を楽しめる社会をつくることが本当の健康法です。

いつでも元気 2020.7 No.344

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