いつでも元気

2020年11月30日

椎名誠の地球紀行 
豊洲の海風のなかで

 築地市場が移転する少し前の豊洲界隈を、カメラを片手に散歩したことがある。マンションや運動広場、きれいに掃除の行き届いた公園。公園には無骨ながら頑丈そうな遊具、ちょっと一休みできそうなベンチやいすなどが適度に置いてあって、近所の人がいろいろと利用できそうだった。
 土曜日の昼間だったから、子どもと母親らしき数人のグループがそれぞれの時間を過ごしていた。子どもたちは元気そのもの。都会の下町だから屈託がない。
 何やらフクザツな形態をした遊具で遊んでいる子どもにカメラを向けると、「おじさんは新聞社の人?」と大きな声で聞く。「違うよ。なんでもないヒトだよ」―。我ながら気のきかない返事をしてしまった。「ふーん」。それでもちゃんと返事が返ってくる。
 その先に行くと、丸いベンチを組み合わせた大きな多目的休憩所のようなところがあり、2組の男の子と母親がいた。母親の笑い声と男の子の不満そうな文句が聞こえる。
 1人の男の子は体の前に大きなエプロンをかけられ、散髪してもらっていた。きちんとかしこまってハサミに身を任せている。
 ぼくは急速に、ずっと昔の子育て時代を思い出した。ぼくは長男が3歳ぐらいの頃からバリカンで丸刈りにする係だった。お風呂場に新聞紙を敷いて、その上で手早く刈った。「てるてる坊主になろうね」というのが合言葉。息子はたいてい素直に刈られるままになっていた。
 小学校3、4年生ぐらいの頃だったろうか。いつものように気軽な冗談を言いながらバリカンを動かしていたが、その日に限って息子は何も答えず、なんだかいつもと気配が違っていた。そのうちに足もとの新聞紙と刈られて散った彼の髪の毛の上に、丸いシミがポツポツと落ちてきているのに気づいた。
 息子の涙だった。
 「あれえ! おまえ泣いているのか。どうしてなんだ?」。ぼくは訳が分からず、そんなことを言った。「おとうはよ、自分の好きなときに風呂場に呼んで勝手にバリカンで丸坊主にしてよ」。息子の抗議の声だった。「あれ、お前、バリカンで丸坊主にされるのがもう嫌なのか?」。息子はうなずいた。
 この顛末は当時連載していた雑誌に「風呂場の散髪」という題名で書いた。息子が少年なりに自立しつつある頃、ということに気がついたのだった。
 短編はその後、いくつかの国語の教科書に載った。そしてぼくのバリカン仕事はこの日が最後になった。30年ぐらい前の自分の子育て時代を、このような場所でいきなり思い出すとは思わなかった。長男はアメリカの大学に行き、半年ぐらい会っていない。
 その後、公園をぐるりと回った。ゴーカに広い野外フローリングの真ん中で、男の子と女の子がテーブルを囲んでなんだか楽しそうだ。こんな風景はいかにも都会の子だ。
 ずっと向こうの海の先に大きなクレーンが動いている。あそこが豊洲市場の工事現場なのだろうか。クレーンの前に小さな運河があって、遊覧船らしきものが数隻見えた。


椎名誠(しいな・まこと)
1944年、東京都生まれ。作家。主な作品に『犬の系譜』(講談社)『岳物語』『アド・バード』(ともに集英社)『中国の鳥人』(新潮社)『黄金時代』(文藝春秋)など。最新刊は『この道をどこまでも行くんだ』『毎朝ちがう風景があった』(ともに新日本出版社)。モンゴルやパタゴニア、シベリアなどへの探検、冒険ものも著す。趣味は焚き火キャンプ、どこか遠くへ行くこと。
椎名誠 旅する文学館
http://www.shiina-tabi-bungakukan.com

いつでも元気 2020.12 No.349

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