いつでも元気

2007年6月1日

特集1 問われなかった医学犯罪 731部隊の実態を医療者自身が明らかに 医学会総会史上初の「戦争と医学」展 “新しい一歩始まった”

 大阪市で開かれた日本医学会総会に四月六日~八日、「戦争と医学」展が出展されました。医学犯罪をとりあげるのは、医学会総会史上初めてのこと。別会場でも展示がおこなわれ、国際シンポジウム「戦争と医の倫理」が開かれました。
文・多田重正記者 写真・若橋一三

まるで他人事、医師会声明

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三重県から駆けつけた大川さん。元731部隊員として「不正は社会に示さないといけない」と

 日本の医学界が戦争について公式にふれた唯一のものが、一九五一年の世界医師会加盟にあたり、日本医師会が発表した声明です。
 「日本の医師を代表する日本医師会は此の機会に戦時中に敵国人に対して行なった暴行を非難し、又行われたと主張され、そして二、三の場合には実際行われたという患者の残虐行為をとがむ」
 まるで他人事です。
 一五年戦争中、旧日本軍は中国人などを「マルタ」と呼んで番号をつけて実験材料にし、生体解剖・人体実験を繰り返しました。七三一部隊が有名です。多く の大学から医学者・医師が参加したにもかかわらず、不問にされてきました。
 しかし、医の倫理の向上のためにも医学者・医師の戦争責任についての「真摯な反省は欠かせない」と、“一五年戦争と日本の医学医療研究会”、保険医協 会、民医連や大学教授など幅広い研究者たちが実行委員会を結成。医学会総会に向けた企画を準備してきました。そして医学会総会協賛企画展示として今回の 「戦争と医学」展が実現したのです。

元731部隊員も証言「慰安婦解剖した」

日・中・米でシンポジウム

 本会場だけでは手狭なため、実行委員会独自企画として別会場でも展示がおこなわれました。七三一部隊の歴史と残虐行為の実態、医師・医学者の協力、アメ リカによる免責の経緯、元七三一部隊員の「なぜ私が責められなければならないのか」という弁明、戦後の医学教育の実態などが所狭しと並びます。展示を食い 入るように見つめ、熱心に語り合う医師たちの姿がありました。
 シンポジウム会場では、中国・七三一部隊罪証陳列館館長の王鵬氏、ハーバード大学公衆衛生学部教授のダニエル・ウィクラー氏、一五年戦争と日本の医学医療研究会名誉幹事長の莇昭三氏(全日本民医連名誉会長)の三人が発言しました(発言大要は10~12ページ)。
 七三一部隊の衛生伍長だったという大川福松さん(88)も会場で、当時を証言。「最初は大変なところに来たと思ったが、そのうち毎日二~三体解剖しない と仕事が終わらん気になっていった。多い日には五体を解剖した。子どものいる慰安婦も解剖し、泣いていた子どもは、凍傷の実験台になった」と。二五〇人の 参加者は静まりかえりました。

譲れないものは何か考えよう

 今回のとりくみを通して、日本衛生学会が七三一部隊問題を検討・議論することを決めるなど、積極的な変化も生まれています。
 「新しい一歩が始まった。歴史認識の問題を、四年後の医学会総会では正式企画にしたい」と話す「戦争と医学」展実行委員会の副実行委員長・池田信明さん (大阪民医連会長)。池田さんは穏やかな笑顔を見せながら、毅然と語りました。
 「『忙しいから考えられない』ではいけない。戦前は普通の医者が戦争犯罪に加わってしまったのです。上の命令に従わねばならないという極限状態に追い込まれる前に、自分たち医療人が確固として“譲れないものは何か”を考えなければ」


シンポジスト3氏の発言(大要)
発言の大要を紹介します。

被害国の国民として
中国・731部隊罪証陳列館館長 王鵬(ワンパン)さん

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731部隊本部のボイラー室。敗戦を前に、人体実験の発覚を恐れて日本軍は徹底的に破壊した
撮影・豊田直巳

  七三一部隊は、中国・ハルビンに居座り、細菌兵器の研究・実践では当時の「世界ナンバー1」でした。一九四五年、降伏前に七三一部隊は大量の証拠を隠滅、 拘禁者をすべて殺した後、日本に撤収しました。被害国の国民として、七三一部隊が残忍の限りを尽くし、大量の生きた人間を使い人体実験をしていたと知った とき、誰でも怒りで胸がいっぱいになると思います。
 細菌注射、凍傷実験、小腸と大腸の縫合、人馬血交換注射などがおこなわれ、七三一部隊がやってみたいと思ったことはすべて実践されました。元関係者の証言を見てみましょう。
 ―中国人五人をペストに感染させて免疫能力を測る実験がされた。一人は、生きながら頸動脈にそって切開され、呼吸が止まった後、臓器は切り刻まれた。
 ―「演習」と称して、中国人やロシア人を木で支えたベニヤ板に縛り付けて爆撃した。爆撃後、爆死した者、腕が無い者もいた。記録班が写真撮影をおこな い、爆弾の破片、破壊力、土壌の状況を点検している者もいた。

人体実験の目的は

 私は人類が疾病予防、健康増進のためにおこなう人体実験は必要だと考えています。しかし、決してみだりにおこなってはいけません。
 中国では、多くの医学者が治療方法を探るため自分の体を使って実験しました。古代の名医・華陀は、麻薬の一種・麻沸散の研究のため自分で服用し、唇の感覚がなくなるまで試しました。
 二〇〇五年にノーベル賞を受賞したオーストラリアの医学者バリーマーシャル教授も、ヘリコバクターピロリ菌の培養基液を飲んで研究を重ね、胃潰瘍を薬で短期間で治せる病気だと証明しました。

同意や倫理道徳が絶対条件

 私たちはこれらのことから、(1)人体実験は自発的に自分の体を使ってする、(2)人体実験の目的は、医学研究の、人類の健康のためである、という二つの共通点を見ることができます。
 七三一部隊がおこなった人体実験では、被験者は残忍な実験方法で傷つけられ、殺されました。彼らの医学研究は細菌戦のためでした。完全な無理強いで、合 法かどうか、被験者が望んでいるかどうかなど考えなかった。戦後は必死で隠しました。
 人体実験は(1)医学、全人類の幸福のためで、(2)本人の同意がなくてはならず、(3)倫理道徳を守らなければなりません。この三点が基礎になってこ そ成り立つと考えます。これ以外は医学という錦の御旗を掲げていても不道徳なものです。この三点をないがしろにして人体実験を語るのでは、七三一部隊と同 じ轍を踏んでしまうのではないかと思います。

取引で731部隊員を免責
ハーバード大学公衆衛生学部教授 ダニエル・ウィクラーさん

 アメリカは戦後、七三一部隊をどう扱うかという点について検討しています。
 「たしかに政府は、後になってひどく厄介なことになるかもしれない。しかしここから得られる情報、とりわけ細菌戦の人体に対する影響に関して日本人から 最終的に得られるであろう情報は、後の厄介ごとというリスクを負うだけの重要性を持つ、とわれわれは強く信じる」(チェザルディン大佐・国務陸軍海軍三省 調整委員会、一九四七年)という記録がある。
 この「厄介ごとというリスク」という考えには戦略的な配慮しかなく、道徳的な配慮はありません。さらにアメリカは取引の理由について「アメリカには高い 倫理観があるから、自分で人体実験なんてできないからだ」と述べていますが、高い倫理観があるなら、なぜ取引自体をおかしいと思わなかったのでしょうか。

金で取引して

 合衆国細菌戦調査団は一九四五年の終戦後すぐ日本を訪れ、元七三一部隊の幹部たちと面会しました。彼らは口外しない条件で、東京裁判では訴えられません でした。データはアメリカに渡り、合衆国の機密資金から元七三一部隊の科学者に報酬も払われました。
 アメリカはナチスを裁いたニュルンベルク裁判で、ナチスの科学者たちを死刑にしました。しかしこのときも処罰せずにアメリカに貢献させた例があります。 NASA(アメリカ航空宇宙局)の月面着陸に貢献した科学者は元ナチスで、後に「宇宙科学の父」と呼ばれました。

アメリカ人にも重荷が

 国家安全保障のための研究は、通常秘密裏におこなわれます。情報がもれるのを防ぐことは正当です。しかし秘密裏におこなわれるために、一般の人々が研究 を批判的に検討する機会が失われ、研究者は自らのおこないを正当化する必要もなくなり、不正な医学実験がおこなわれる危険性があります。
 七三一部隊のような過去の悪行は、次の世代の重荷になると私は考えます。データ入手のために取引がされたことで、私たちアメリカ人も重荷を背負うことに なった。そして積極的に隠したことで、最初に取引したときよりも多くの重荷を背負うことになったのです。

なぜ医学犯罪は起きたのか
15年戦争と日本の医学医療研究会 名誉幹事長 莇(あざみ) 昭三さん

 日本政府は戦後、医学犯罪への関与を一貫して否定してきました。日本の医学界も一片の声明を出しただけ。しかし日本の医学界の一部は医学犯罪の存在を知りながら組織的に大学から研究者を派遣し、委託研究をおこなっていたのです。
 七三一部隊員はなぜ医学犯罪を犯したのか。私は戦後、元部隊員の石川太刀雄丸氏から病理学を学びましたが、人殺しをする人には見えませんでした。
 元七三一部隊員の秋元須恵夫氏は、教授の命令に従わなければならなかった、と述べています。拒否すれば「破門」か、軍法会議にかけられるということです。

命令なら責任はないのか

 戦後、元七三一部隊の吉村寿人氏は「直接の指揮官でもない私がなぜマスコミに責められなければならないのか」と弁明しました。医学犯罪を不問にしてきた 日本の医学界も同様の考えが支配的で、現在もそうだと思います。しかしドイツの戦犯を裁いたニュルンベルク裁判では、政府や上官の命令でも「道徳的選択が 現実に可能であったときは、国際法の責任を免れない」としています。
 古来、医師は宗教者・裁判官とともにプロフェッショナルと呼ばれてきました。つまり神にかわって人間の行為の善悪を判断し、人道に反する決定を絶対しな いという前提で、社会がその人を医師と認知しているのです。一五年戦争当時でも、「人の命を損なわない」ことが医師や医学者の判断基準の原則だったはずで す。

医師の戦争犯罪に正面から

 また七三一部隊の医学者の多くが、戦後、各地の大学医学部の教職に就き、影響力を発揮したのも、アメリカから免責されたことと深くかかわっています。
 一九五二年、第一三回日本学術会議で、政府に一九二五年の「細菌兵器使用禁止に関するジュネーブ条約」を批准するよう求める決議が提案されましたが、否 決されました。反対した木村廉氏、戸田正三氏は七三一部隊へ多くの医学者を推薦した人物です。
 一九八六年、日本で血液製剤によるHIV感染事件が起きました。これも元七三一部隊員が中心になって設立した「日本ブラッドバンク」社(後のミドリ十字)の運営方針と深くかかわっています。
 ノーベル賞を受賞した湯川秀樹、朝永振一郎両博士は、戦争中は軍に荷担していました。湯川氏は原子力開発に、朝永氏はレーダー開発に。しかしともに戦後 は反省して平和運動の先頭に立ちました。いま日本の医学界に求められているのは、戦時中の戦争犯罪をあいまいにしてきたことに対し、真正面から立ち向かう ことです。何が問題で、何が教訓だったかを導き出すことが重要だと思います。

医学会の戦争荷担についてのアンケート結果
「戦争と医学」展実行委員会実施(101の医学会中、24学会が回答)

  1.  かつての戦争中に開催された日本医学会が、戦争に動員され荷担していったことについて、貴学会は討議・決議をされたことがありますか?
    「討議・決議していない」 24/24=100.0%
    「討議・決議した」     0=0%

  2.  日本医学会は、世界医師会に加入するにあたり1949年の代議員会において「戦時中の非人道的行為を非難する決議」をしています。貴学会は、この決議や戦時中の医師の非人道的行為について討議・決議されたことがありますか?
    「討議・決議していない」 24/24=100.0%
    「討議・決議した」     0=0%

  3.  戦争中の非人道的行為を代表するものに731部隊(関東軍防疫給水部)が行った人体実験などがあります。貴学会の業績に731部隊に所属あるいは関わって医学研究を行った者が含まれているかどうか調査されたことがありますか?
    「調査していない」 24/24=100.0%
    「調査した」          0=0%

いつでも元気 2007.6 No.188

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