いつでも元気

2022年10月31日

神々のルーツ 
出雲と新羅の縁結び

文・写真 片岡伸行(記者)

「縁結びの神」として知られる出雲大社

「縁結びの神」として知られる出雲大社

 前号で出雲大社について少しふれましたが、弥生時代以来、朝鮮半島から船で海を渡り、多くの人が出雲地方に波状的にやって来ました。
 新羅から息子の五十猛とともに出雲に来たのが、神話上の皇室の先祖である素戔嗚です。

 「因幡の白うさぎ」で知られる大国主は、幾多の試練を乗り越えて須勢理姫と結ばれ国づくりを進めます。やがて国中の神が出雲の地に集まるようになり、いつしか出雲大社が「縁結びの神」と呼ばれるようになりました。
 大国主との良縁を築いた須勢理姫は、新羅から来て出雲の祖神となった素戔嗚の娘です。では、そもそも素戔嗚はなぜ出雲にやって来たのでしょう。

素戔嗚と鉄

 朝鮮半島南部(新羅や加羅)は紀元前から鉄の産地でした。当時の鉄は国力の象徴。紀元前後(弥生時代後期)に列島に鉄器が流入し「石から鉄へ」の転換が進みますが、日本(当時の倭国)が独自の製鉄技術を持つのは5~6世紀ごろとされます。
 出雲地方はかつて「たたら製鉄」で栄えました。砂鉄を原料に、木炭を燃やして溶けた鉄を取り出す日本独自の技術。映画「もののけ姫」に出てくる「たたら場」のモデルになっています。大量の木炭を必要とすることから、朝鮮半島に比べて森林資源が豊富で、しかも良質の砂鉄の採れる出雲地方に朝鮮半島から製鉄集団がやって来たのでしょう。
 素戔嗚は八岐大蛇を退治したことで有名ですが、切った大蛇の尾から取り出されたのは鉄剣でした。まさに「鉄の獲得」を象徴するエピソードです。
 素戔嗚の「スサ」は砂鉄を意味する朝鮮語に由来するともいわれ、素戔嗚は「製鉄の神」との説も。※1 つまり素戔嗚は、製鉄技術を列島にもたらした集団の長(ないし新羅の王族)であった可能性があります。
 韓の川とも読める出雲市唐川町に素戔嗚を祀る韓竈神社があります。「竈」とは溶鉱炉のことで、「韓鍛治」と呼ばれる半島の技術者集団が建立した神社とされます。
 また、『出雲国風土記』の冒頭を飾る「国引き神話」は、周辺の土地を綱で引き寄せて「国」にまとめる話ですが、最初にたぐり寄せられた土地が「志羅紀」(=新羅)でした。同族一体を物語る逸話のようです。

大国主と国譲り

 素戔嗚の子孫である大国主が列島の国づくりをし、天孫族(のちのヤマト王権)に敗れて国の支配権を譲るという「国譲り神話」が『古事記』と『日本書紀』に出てきます。
 神代の時代の話になっていますが、出雲国が実際にヤマト王権に服属し中央集権体制に組み込まれるのは5、6世紀ごろとされます。※2 また、前号で紹介したようにヤマト側に抵抗し列島各地に散った出雲族もいました。服属の条件として建てられたのが大国主を主祭神とする杵築大社とされ、千年以上を経た1871年(明治4年)に出雲大社に改称しました。

出雲だけの韓国伊太氐神社

 出雲大社のある出雲市大社町には、大国主の子とともに素戔嗚や息子の五十猛(イタケルともいう)などを祀る阿須岐神社があり、ここには「同社神」として韓国伊太氐神社も祀られています。
 韓国伊太氐という不思議な名称の神社は出雲にしかなく、927年完成の『延喜式』神名帳によれば、阿須岐神社を含めて6社(ほかに玉作湯神社、揖夜神社、佐久多神社、出雲神社、曾枳能夜神社)に祀られます。
 伊太氐とは五十猛が変化したもので、「イタテ神は製鉄の神」との説があります。※3 その五十猛を祭神とする五十猛神社が山陰本線五十猛駅近く(島根県大田市五十猛町)にあり、同町大浦には素戔嗚を祀る韓神新羅神社もあります。
 出雲国は新羅との強い結びつきで、日本海側にヤマト王権に匹敵する一大文化圏を築いていたのです。(つづく)

※1  吉野裕訳『風土記』(平凡社ライブラリー)の「出雲風土記」の注記。岡谷公二著『伊勢と出雲』(平凡社新書)にも詳しい。
※2 水野祐著『古代の出雲と大和』(大和書房)などに詳しい。
※3 上垣外憲一著『倭人と韓人』(講談社学術文庫)、真弓常忠著『古代の鉄と神々』(學生社)などに詳しい。同じ五十猛を祀る伊太祁曽神社と伊達神社(和歌山市)では製鉄に欠かせない「樹木の神」とされる。

いつでも元気 2022.11 No.372

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