いつでも元気

2007年11月1日

元気スペシャル 東京大気汚染公害裁判が勝利和解 ぜん息患者の医療費全額助成へ 「公害は終わった」のウソ突き崩す

 「きれいな空気を取り戻そう」とたたかわれた東京大気汚染公害裁判。一九九六年五月の提訴から一一年、和解が八月八日に成立しました。和解内容は 自動車メーカーの加害責任も実質的に初めて認め、都独自のぜん息患者の医療費全額助成制度を都、国、首都高速道路会社、メーカーが財源を拠出して創設する ことを約束させるなど、画期的なものです。

“人工呼吸器に2回つながれた”

genki193_01_01

お礼を述べる原告のみなさん
(9月8日、葛飾青空の会総会)

 九月八日、裁判を支援してきた「葛飾青空の会」の定期総会が、葛飾区内で開かれました。
 「わがことのように運動してくれたみなさんの恩は、決して忘れません」
 勝利和解を受け、原告が一人ひとりあいさつすると、会場は祝福の拍手につつまれました。         
 葛飾区に住む森倉次郎さんも原告の一人。第二次訴訟原告団の団長です。
 森倉さんは一九八二年、三〇歳でぜん息を発症。三一歳で初めてぜん息発作を起こして入院。退院後、二週間ほどしてふたたび入院しました。
 原告は、第一次提訴(一九九六年)から第六次提訴(二〇〇六年)まで六三三人。そのうちすでに一〇〇人以上の原告が亡くなっています。森倉さん自身も一 九九二年、「人工呼吸器に二回もつながれた」と。何度も発作を起こし、命を落とす危機に遭ってきたのです。葛飾医療生協の職員でもある森倉さんは、職員、 組合員にも支えられてきました。
 都内のぜん息患者はいまなお、「五〇万人~六〇万人もいると推測されている」と、東京大気汚染公害裁判原告団事務局の大越稔秋さん。和解受け入れは、原 告だけではなく、都内すべてのぜん息患者を救済するための決断でした。
 「東京大気汚染公害裁判勝利をめざす実行委員会」の吉川方章事務局長は、「私たちのたたかいは金取り主義だといわれたこともあるけど、そうじゃない。全 都民を対象にした医療費助成制度の創設をめざしてきたからこそ、たたかってこられた」と胸を張ります。

「環境」を売りにしたトヨタ

 国はディーゼル車の排気ガスが人体に及ぼす危険性を八〇年代から認識しながら規制せず、八八年には「公害は終わった」と公害指定地域を解除し、新たな公害患者認定を打ち切ってしまいました。
 自動車メーカーも「低燃費」を売り物にディーゼル車の販売をすすめ、“ディーゼル車の方がガソリン車よりも二酸化炭素の排出量が少ない”と一面的に宣 伝。「環境に優しい」とアピールしました。一方、裁判では、メーカーがアメリカ向けに低公害のディーゼル車を販売していたことも判明しました。
 「トヨタの前で座り込みをしていたら、原告の人たちがいうんだよね。『トヨタは環境を売りにして世界一になった。それなのに、なぜ自動車の排気ガスが原 因で苦しんでいる私たちの前に、顔を出さないんだ』って」と葛飾医療生協の吉野五郎理事長。葛飾青空の会に職員、組合員にも声をかけて入会してもらい、支 援の輪を広げてきました。
 ガソリン車からディーゼル車への転換がすすむ中での裁判提訴。森倉さんも「国や企業を相手にするなんて、アリが巨象に挑むようなものだと思った」といいます。
 二〇〇二年、一審で東京地裁が救済をいい渡したのは、幹線道路の五〇メートル以内、第一次訴訟の原告九九人のうち、たった七人でした。

genki193_01_02

今度は国の新しい救済制度の実現を

 

“うちの息子もぜん息だ”

 「原告だって自動車の恩恵を受けているじゃないか」というメーカーを動かしたきっかけのひとつが、二〇〇四年から繰り返しおこなったトヨタのディーラー(販売店)への要請行動でした。
 「応対した店長の息子さんがぜん息だったり、上司がぜん息だという声が出てくるんです。上に意見を上げてください、というと『わかりました』という反応が返って来たのです」と吉川さん。
 原告と支援者は何度も繰り返しトヨタの本社や東京本社前につめかけ、座り込みもおこないました。葛飾青空の会も地元で街頭宣伝を繰り返しました。
 「うちの子どももぜん息だ。ひょっとしたら公害だろうか」などの声も次々寄せられました。「地域の反応に励まされた」と森倉さんもいいます。
 二〇〇六年に入り、トヨタの態度に変化が。行政が救済制度をつくるなら資金を一部負担してもよい、と変わってきたのです。二〇〇六年九月に高裁結審、一 一月に都が医療費助成制度を提案。二〇〇七年一月にトヨタが制度への財源負担に同意すると表明し、他のメーカーも同調する流れが生まれていきました。

genki193_01_03 

“大きな峰はもう一つある”

genki193_01_04

「運動をひと休みするわけにはいかない」と 訴える大越
さん(中央)。左が吉川さん

 和解成立ですべてが終わったわけではありません。原告団、弁護団、支援者はとりくみを続けま す。国や都などに和解内容を着実に実施させるためです。国は大気汚染物質の微小粒子状物質(PM2・5)の環境基準を設定、都は大気観測体制の整備や自動 車交通総量の削減、低公害車の普及促進、幹線道路への植樹帯設置などをはかることになっています。
 また医療費助成制度は患者本人負担なし、所得制限もなしですが、当面五年間です。対象は一年以上都内に住んでいるぜん息患者のみ。五年で制度を終わりに させず、対象を慢性気管支炎や肺気腫などに広げさせるとりくみも重要です。
 そして何よりも継続的な生活補償が必要です。メーカーは一二億円を一時金として原告側に支払いますが、患者は呼吸器疾患で若くても働けず、病苦に加えて生活苦を強いられてきた人も多い。
 「西順司原告団長は和解後、『大きな峰を越えた』と述べましたが、大きな峰はもう一つある」と大越さんは強調します。

“ひと休みするわけにはいかない”

 自動車排ガスによる健康被害は大都市圏を中心に日本中に広がっています。東京だけに限った問題 ではありません。全国の大気汚染公害患者、弁護団、研究者、医療従事者などが中心となり、大気汚染公害患者の救済制度を検討する動きが始まっています。医 療費と生活補償の両面にわたり、国、自治体が責任をもった救済制度を実現するためです。
 「公害患者は減っていない。いまなおぜん息になっている子どもたちが増えている。五〇歳や六〇歳になって患者になる人も多いのです。誰がいつぜん息に なってもおかしくないんです」という大越さんは、総会でこう訴えました。
 「運動をひと休みするわけにはいかない。一人残らず都内のぜん息患者は公害認定を受けてもらう。さらには、全国のすべての公害病患者が救済される制度の実現をめざす。そんな運動をつくっていくことが必要です」
文・多田重正記者/写真・酒井猛

いつでも元気 2007.11 No.193

リング1この記事を見た人はこんな記事も見ています。


お役立コンテンツ

▲ページTOPへ