いつでも元気

2011年4月1日

元気スペシャル 潜在する被害者早急な実態把握を カネミ油症 いまだ終わらぬ苦しみ

 「史上最悪の食中毒事件」「国内最大規模の食品公害」と呼ばれたカネミ油症事件。一九六八年、カネミ倉庫(福岡県北九州市)はダイオキシンが混入した「カネミライスオイル」を販売。これが原因で、西日本を中心に一万四〇〇〇人が中毒症状を訴えました。
 カネミ油症は遠い過去の出来事ではなく、今も苦しみ続けている人たちがいます。全日本民医連は昨年八月、「被害者救済にむけてのとりくみを検討する」こ とを決定。その後「被害の実相を学んで、被害者に寄り添い、ささえよう」との動きがはじまっています。現地・長崎を取材しました。

苦しみ続けた40年

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長崎県五島市玉之浦町。もっとも被害者が多い地域といわれる

 長崎市から海を隔てて一〇〇キロに位置する離島・五島市には、長崎県内のカネミ油症認定患者七八八人のうち七〇四人が集中しています(被害当時居住していた自治体あたりの人数/二〇一〇年三月末現在)。
 カネミ油症五島市の会事務局長・宿輪敏子さん(49)は、カネミ油症に苦しめられて四〇年あまりですが、「ダイオキシンが原因だ」とわかったのは一〇年 前でした。被害者の救済のために東京で設立されたカネミ油症被害者支援センターから「ダイオキシンを食べさせられていた」ことを伝えられ、はじめて「ダイ オキシンがもたらす慢性的な毒性がさまざまな症状を引き起こしている」という事実を知ったのです。
 宿輪さんがカネミライスオイルを口にしたのは、小学校入学前のこと。カネミライスオイルが自宅の食事に使われていました。小学生の頃は朝起きると目やに がひどく、「上と下のまぶたが接着剤でくっついたようだった」と宿輪さん。「毎朝、母がお湯に浸したタオルで目やにをとってくれるのが、習慣でした」。
  genki234_02_02 鏡を見るのが嫌になるほどむくんだ顔。歯を磨くと血が出ることもしょっちゅうでした。冬場は「いつまでお風呂に入っているのか」と母に怒られることもた びたび。長湯をしても、いっこうに身体が温まらなかったのです。中学生になると、激しい肩こりと頭痛に悩まされました。
 婦人科系の病気にもつぎつぎと見舞われました。不正出血、卵巣嚢腫。妊娠三カ月でお腹が異常に張り、出産まで入院を余儀なくされたことも。足の痛み、何 年も続く微熱、全身の脱力感。朝起きて布団から起きあがることができない日々が続いたこともありました。
 しかし、医療機関を受診しても、検査結果はいつも「異常なし」。医師は首をかしげるばかりだったと言います。「症状を話すと、『ところであなたは今日、 どの症状を診察してほしいのか』と言われたこともありました。精神的な原因があるのではと疑われたこともあります」と宿輪さん。痛みを抱えながらも「どう せわかってくれない」という、医療従事者への不信感が募っていきました。
 「もしかしてカネミ油症と関係あるのでは?」と不安を抱きながらも、当時は“カネミ油症は吹き出物などの皮膚症状が一般的”だったため、「これは自分の 体質なんだ。この身体と一生つきあっていくしかないと思っていた」と宿輪さん。

なぜダイオキシンが混入したのか

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カネミ油症被害者資料展示コーナーに掲示されている油の精製過程

 カネミ油症の主な原因は、ダイオキシンの一種であるPCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン)による ものです。油の臭いを取り除く脱臭工程でPCB(ポリ塩化ビフェニール)が混入してしまったことが発端となっています。脱臭工程は、らせん状のパイプがあ る“脱臭塔”といわれる真空タンクに油を入れるというもの。パイプ内にはPCBを注入していました。
 「ある時期から、PCBをパイプ内に注入する回数が増えた。なぜこんなに早く減るのだろうと疑問に感じていた」とのカネミ倉庫職員の証言にあるように、 油に大量のPCBが漏れ出していました。漏れた原因についてカネミ倉庫は公表していませんが、パイプに穴が空いていたことによるピンホール説と、脱臭塔内 の工事ミス説の両説があり、状況的にはそれらの原因しか考えられません。PCBを加熱したことにより毒性の強いPCDFが発生、毒性はサリンの一〇倍と言 われています。
 カネミ倉庫は、カネミライスオイルを「健康にいい油」「皇后も食べている」「そのまま飲んでも身体にいい」との売り文句で、西日本で販売しました。誰の 口にも入る油は、家庭や食堂などさまざまな場所で使われました。食べた人たちは四〇年以上たった今でも全身のあらゆる症状に苦しめられ、治ることはありま せん。さらに、ダイオキシンは体内に蓄積されるため、親から子へと世代を超えて受け継がれるのです。

実態はいまだ把握されておらず

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長崎県五島市・カネミ油症40年記念誌編さん委員会が発行した『回復への祈り-カネミ油症40年記念誌』
五島市は、相談窓口の設置や、福江総合福祉保健センターにカネミ油症被害者資料展示コーナーを設けるなど、被害者救済対策をとっている

 国は長年、ダイオキシンが原因だという事実を隠していました。
 一九六八年一〇月一四日、九州大学医学部・薬学部・福岡県衛生部合同で「油症研究班」が編成・設置され、そのわずか五日後の同一九日には「被害者切り捨 て」としか思えないような認定基準をつくります。一九七四年七月、九州大学大学院博士課程院生の長山淳哉氏らが、残った油から多量のPCDFを発見。翌年 四月の日本衛生学会総会で「カネミ油症の主な原因がPCDF」と発表していました。しかし厚労大臣が国会でこの事実を認めたのは、発見から三〇年近くも経 過した二〇〇二年のこと。「検査データを集めるだけで、まるで研究材料扱い。私たちはモルモットにされた」と宿輪さんは憤ります。
 宿輪さんら患者会は、国にたいして医療費、生活保障などの恒久的な救済を求めています。症状が原因で継続して就労できず、生活困窮に追い込まれている被 害者も多数。また、認定患者には「油症患者受療券」が発行されていますが、医療費支払いの基準がないため、申請しても「この症状は認めない」「婦人科疾患 は油症とは関係ない」などと突き返されるケースも後を絶たないからです。
 「カネミ油症被害者が本当のことを語りはじめ、真実がわかりはじめたのはここ数年のこと。国の責任で患者の実態調査を実施してほしい」と宿輪さん。

 

油症問題へ足をふみだすのは、今

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2010年6月3~4日開催の公害被害者総行動デーで全面救済を訴える被害者たち(写真提供:川上宗勇氏)

 長崎県民医連は「カネミ油症の実態を知ろう」と昨年九月から学習会を三回開催しました。
 二月三日に上戸町病院で開いた三回目の学習会のテーマは「カネミ油症の病像について」。水俣病訴訟でも中心的役割を果たしてきた藤野糺ただし医師が講師 をつとめました。「たとえば山口県では、一九七一年に希望者一一八二人を対象にカネミ油症の検診を実施した際、認定されたのはわずか二%の二三人だった」 と藤野医師。二〇一〇年三月末現在でも全国の認定数は一九四一人。「同一家族でも、症状が同じでも、認定と未認定に区分されて一部の人しか認定されていな いということはおかしい。カネミ油症の公害認定には血中PCDF濃度だけが絶対視されており、全身の症状を軽視していることは問題だ。当時のカネミライス オイル製造量からみると、潜在する被害者は一〇万人を超えるという試算もある」と指摘します。
 「油症研究班」は、どれだけの人がダイオキシンで汚染されたのかという調査はおこなっておらず、どういう症状が油症なのかという研究さえおこなっていま せん。藤野医師は「水俣病のたたかいは、汚染地域と非汚染地域との比較健康調査をおこない、民医連を中心とした医師団の診断基準を確立して国に提言し、そ の基準を裁判で認めさせて救済への道をひろげる、というたたかいでした。カネミ油症も、汚染実態解明のために被害者の多い五島市で住民検診をおこなう必要 があります。“病気のデパート”といわれるほどにさまざまな症状があるからこそ、すべての診療科をあげて、カネミ油症被害者の救済にとりくまなければ」と 訴えました。
 学習会終了後、「被害の実態を訴えていくのは、私たち医師の責任」との思いを語った三宅裕子・上戸町病院副院長。長崎県民医連・平野友久会長は「学習会 は今回で最後、次はいよいよ足を一歩踏み出そう」と決意を語りました。五島市にある五島ふれあい診療所の新木士朗事務長は「地域に住んでいる患者さんから 実態を学ぼう」と三月一〇日、はじめての学習会を開催しました。
 取材をするなかで、「学習会で病像を学び、“もしかして自分の家族もカネミ油症被害者なのでは…”と心あたりを感じた」という職員も少なくありませんで した。深刻な症状を抱えながらも声をあげられない被害者。四〇年以上たったいまでもカネミ油症であることに気づかないまま、さまざまな症状に苦しむ被害者 は潜在しています。実態把握と被害者の恒久的救済を。民医連の役割発揮が待たれています。
文・宮武真希記者
写真・酒井猛

いつでも元気 2011.4 No.234

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