いつでも元気

2012年2月1日

特集1 薬害イレッサ訴訟 東京高裁不当判決 がん患者の“いのち”の尊厳を問う

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写真提供:藤竿伊知郎(東京・外苑企画商事)

 どんな薬にも、効能だけでなく副作用があります。そして薬の副作用が、国や製薬会社によって軽視されることで被害が拡大すると、それは単なる副作用ではなく「薬害」となります。薬害は、人の手によって起こるのです。
 2002年7月に発売された肺がん治療薬の「イレッサ(R)」は、発売からたった5 カ月で180 人が、副作用である間質性肺炎によって亡くなりました。
 「イレッサによる副作用死は、事前の十分な情報提供がされないなかで起きたもの。まさしく薬害だ」―2004年に東京(東日本)と大阪(西日本)で患 者・遺族らが、国と販売会社(アストラゼネカ社)を相手に裁判を起こし、いまもたたかっています。

隠されていた「副作用」の情報

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近澤昭雄さん
イレッサ薬害被害者の会 代表
薬害イレッサ訴訟原告団 団長

 「“わらにもすがる”という言葉がありますが、私や娘にとって、イレッサはわらではなかった。 頑丈な船に乗ったつもりだった」――薬害イレッサ東日本訴訟原告・近澤昭雄さん(68)は二〇〇二年一〇月一七日、娘・三津子さん(31)をイレッサの副 作用である間質性肺炎で亡くしました。
 三津子さんは亡くなる前年、「肺がんの末期」と宣告され、入院していました。抗がん剤治療がひととおり終了すると、「余命は自宅で」と告げられて退院。 仕事は退職せざるをえませんでしたが、恋人と映画を観たり食事に出かけたりする生活を送っていました。
 「一日でも長く生きたい」との思いから、“がんに効く”といわれる健康食品をいろいろ試す日々。近澤さんも「とにかく何でもいいから治療薬を」と探し続 け、ある日インターネットでイレッサを見つけます。それは、これから日本で承認され、がん患者が使用できるという「新薬」でした。
 調べると「効き目は良く、副作用はない」「がんが治った」「社会復帰できた」という情報ばかり。「夢の新薬」「画期的な薬」とのニュースは、インターネットだけでなく新聞をはじめマスコミでも同様に報じられました。
 「何としてもこの薬を飲ませてやりたい」と思った近澤さんは主治医に相談。主治医も「いい薬が出るらしいね」と処方しました。
 当時、一錠九〇〇〇円の薬。三津子さんは宝物のように、出かけるときも必ず持参していました。
 「これで生き続けられる」と一日一錠服用し続け、四九錠目を服用した日に突然、入院を告げられました。定期通院日だったその日、撮影した胸部レントゲン 写真で異常が見つかったのです。入院後、急激に呼吸が苦しくなり、みるみるうちに状態は悪化。「ベッドに横になる姿勢では呼吸ができず、起きあがると、い くぶん呼吸ができる状態だった」と近澤さんは言います。そして入院から二週間後、三津子さんは亡くなりました。ベッドに座ったまま、呼吸ができない苦しみ に顔をゆがめる最期、体を直角に硬直させての壮絶な死でした。

国・企業の甘い対応で被害拡大

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昨年11月15日、東京高裁前で 写真・廣田憲威(全日本民医連)

 三津子さんが亡くなる二日前、厚労省は「イレッサによる急性肺障害、間質性肺炎について」とい う緊急安全性情報を発令しました。その内容は、発売された七月一六日から一〇月一一日までに二二例の死亡が報告された、というもの。しかし国は「添付文書 にあらためて警告欄などを記載し、注意喚起をおこなう」だけ。薬を回収するなどの手だてをとらなかったため、この緊急安全性情報が出されたあとも被害は拡 大、発売からたった一年の間に二九四人もの方がイレッサの副作用で亡くなりました。
 イレッサは、世界ではじめて、日本で承認・発売された薬(新薬)でした。承認は申請からわずか五カ月(通常一年程度)という異例の早さ。承認前の治験 (患者さんに薬を使用し、効果や安全性、最適な投与法などを確認する臨床試験)で間質性肺炎による死亡例は出ていたにもかかわらず、「死亡に至る重篤な副 作用がある」という治験結果は隠ぺいされ、「副作用はない」という偽りの情報が大きく取り上げられたのです。

不十分だった添付文書

 なぜ「副作用はない、安全だ、安心だ」といわれた薬を服用しながら、ベッドに横になることもかなわない、壮絶な死に方をしなくてはならなかったのか。「国や企業は、あまりにもがん患者の命を軽視していないか」と感じた近澤さんは二〇〇四年一一月、裁判を起こしました。
 原告らが問うているのは、イレッサの添付文書が不十分であったことの責任。
 イレッサの添付文書は、現在、第一九版になっています(二〇一一年一二月現在)。当初から副作用欄に「間質性肺炎」の記載はありましたが、列挙されてい る重大な副作用項目の末尾にあったため、副作用による死亡を防ぐには不十分だった、というのが原告らの訴えです。
 添付文書冒頭に警告欄を設けて副作用を記載した第三版以降、間質性肺炎による副作用死亡事例は激減しています。
 薬害イレッサ東日本訴訟弁護団事務局長の阿部哲二弁護士は「発売以降、イレッサの薬の成分はなにひとつ変わっていない。変わったのは添付文書の副作用の 記載方法です。つまり、情報量が変わったことで、これだけの副作用が減った。ということは、発売当初の情報の出し方や使用にあたっての警告が不十分だった と考えられるのは、ごくごく素直な考え」と指摘します。


注:1993年に帯状疱疹治療薬「ソリブジン」の副作用で17人が亡くなった薬害。この事件をきっかけに添付文書の記載が見直され、「記載してあればいい」から「危険性が認識できるような記載にあらためるべき」とされた。

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イレッサ錠250の第1版添付文書
間質性肺炎については、添付文書2ページ目(1)重大な副作用の4番目に触れられているのみ。致死的な副作用との注意喚起はまったくなされていなかった


不当判決「これでは薬害防げない」

 昨年三月二三日、東京地裁の一審判決は国と企業の責任を認めました。しかし同年一一月一五日、二審・東京高裁は、「イレッサが間質性肺炎を起こしたとい う疑いはあるが、因果関係があるとは言い切れない。また、添付文書には当初から副作用の記載がされており、国にも製薬会社にも責任はない」という、一審判 決とは正反対の判決をくだしたのです。
 「薬害を防止するという点で、まったく不当な判決。これでは薬害を防ぐことはできない」と阿部弁護士。
 「一九六〇年代に起こったサリドマイド事件をはじめ、これまで数々の薬害が起こりました。それらの教訓は“疑わしい事例が出た時点で、企業は情報を伝え、国は規制をおこなわなければならない”というもの。
 国民のいのちを守るためには、副作用被害があった場合、国も企業も機敏な対応をとらなければならないのです。そうでないと、患者さんのいのちが奪われるという事態を防ぐことはできない」と話します。

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生かされなかった過去の教訓

 薬剤の添付文書に、「なにをどのように記載して注意喚起すべきか」という記載方法は、過去の薬害(ソリブジン事件・注)が大きな教訓となっています。
 東京民医連の薬剤師でつくる「薬害根絶の会」で活動する間規子さん(たくみ外苑薬局)も東京高裁の判決内容に対して「これまでの公害や薬害の教訓を壊し た高裁判決では、薬害は繰り返されてしまうという危機感を感じる」と言います。
 「被害(薬害)の拡大を防ぐには、副作用によるものかどうかという因果関係がはっきりするのを待つのではなく、疑わしい時点で迅速かつ適切に対処すべき」と話します。

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西日本訴訟は今年、高裁判決へ

 「裁判を起こすことで、イレッサの被害拡大をなんとしても防ぎたかった」と話す近澤さん。「たとえ、がん患者であっても、いのちは大事。薬の副作用を知らされないまま、“どうせがんなんだから、仕方ないんじゃないの”ということではすまされない」。
 全日本民医連は昨年一一月一六日、「東京高裁の不当判決に抗議する」声明を発表。これまで国と製薬企業が薬害根絶のために努力してきた内容を否定する判 決に「満身の怒りを込めて抗議」し、薬害被害者に寄り添い、全面解決されるまで奮闘する決意を表明しました。国とアストラゼネカ社に対しては、被害者救済 のために即刻和解の場につくことを求めています。
 前出の間さんは「地裁判決で厳しく糾弾された製造物責任法上の欠陥を、高裁判決は認めなかった。多くの死亡者が出た現実を見ると、“患者さんのいのちを 守る”という観点からはあってはならないこと。薬害を繰り返さないためにも、国と製薬会社はきちんと責任を問われるべきだと思います。
 患者さんは一縷の望みをもって“つらい副作用があってもその治療にかける”と言われます。でもそれは、生きる希望をかけているということなのです。患者 さんの未来のために、死亡という副作用を回避しなければならないと、強く心に留めておきたい」と訴えます。
 がん患者のいのちの尊厳を問う裁判。大阪で提訴された西日本訴訟は今年、大阪高裁で判決がくだされます。近澤さんが原告となっている東日本訴訟は、たたかいの場を最高裁へとうつしています。
文・写真/宮武真希記者

いつでも元気 2012.2 No.244

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