いつでも元気

2012年6月1日

元気スペシャル 原発空撮 これでも再稼働? 写真家 森住 卓

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原子炉格納容器の上部がむき出しになった4号機。決死の作業をする原発労働者の姿も見える

 野田内閣は大飯原発の再稼働を認める方針を決めた。しかし、この写真をよく見てほしい。この惨状を見た上で再稼働を決めたのなら、私は言葉を失う。
 三月一六日、私と広河隆一氏(「DAYSJAPAN」編集長)がチャーターしたヘリコプターで、福島第一原発の上空に向かった。飛行禁止区域は、原発周辺三キロ圏まで縮小されていた。
 原発から半径二〇キロ圏内は立ち入り禁止で、許可のない者は立ち入れない。上空から見ると、南北に延びる国道には、ひっきりなしに車が行き来している。 国の避難区域の見直しと避難民の帰還に向けて、一気に動き出しているようだ。

 

セシウム拡散の危険

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海岸沿いに並ぶ1~4号機(写真左下)。1号機はテントで覆われている

 午前九時半、福島第一原発から三キロ地点に到達。上空三〇〇メートルの放射線量は最大〇・八マイクロシーベルトと、意外に低い。
 一号機はすでにテントで覆い隠されている。アメリカGE製マークI原子炉の元設計者アーニー・ガンダーセン博士は、米国原子力規制委員会のプレゼンテー ションで「覆いは敷地内の線量を下げ、作業員の安全を守る」と述べた。一方で、「放射能放出という問題自体は解決しない。覆いの中に充満した放射性物質は 排気塔からはき出され、セシウムを遠くへ押し広げる。いま、北日本全体にセシウムの堆積は広がっている」と、その危険を指摘している。

敷地内に瓦礫が散乱

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損壊が激しい3号機

 二号機は海側の建屋の壁がぽっかりあいている。メルトダウンして溶けた燃料が格納容器の下に溜まっている。冷却水が六〇センチしかない。格納容器に穴があき、外部に冷却水が漏れ出しているわけだ。
 爆発した三、四号機周辺には、鉄骨やコンクリートの塊などの瓦礫がいまだに散乱している。三号機建屋の損壊が最も激しい。天井の鉄骨が飴のように曲がり くねって幾重にも重なり、内部を見ることができない。三号機はプルサーマル発電で、ウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料を使っていた。ガンダーセン博 士は、三号機の爆発は水素爆発ではなく核爆発だったと指摘している。
 四号機は北側半分の建屋が吹き飛び、黄色い原子炉格納容器の上部がむき出しになっている。定期点検中だった四号機は燃料が原子炉から取り出され、使用済み燃料プールに入れられていた。

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汚染水処理の各種タンクが所狭しと並ぶ

 京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は、「使用済み燃料プールの水が沸騰したり、再び大きな規模の地震が起きてプールにひびが入れば、燃料を冷却できなくなる」と指摘する。
 アメリカの国立火山研究所の調査によると、マークI型の原子炉の核燃料が冷却できなくなると、燃料プールから放出したガスによって一八万六〇〇〇人が死 に至るという試算が示されている。「プールの崩壊が懸念される。使用済み燃料を早く安全な場所に移す必要がある。しかし、オペレーションフロアが破壊さ れ、クレーンも使用済み燃料交換機も使えない」と、写真を見た小出氏は語った。

原発労働者の姿も

 昨年四月に東京電力が発表した写真と見比べると、四号機建屋の上部鉄骨の南側半分は片付けられている。五階には防護服を着た作業員の姿が。決死の被ばく労働がおこなわれている。
 事故前、冷却水を勢いよく太平洋に放出していた放水口がぽっかりと大きな口をあけ、一滴の水も出ていない。その代わりたくさんのコンクリートの亀裂から漏れた汚染水が、太平洋全域に広がっている。
 再び巨大地震と津波が襲う可能性が高いというのに、護岸工事は土嚢を積み上げただけ。これでは大きな津波から守ることができない。原発建屋以外の広大な 敷地内には汚染水処理の各種タンクが並べられている。今後増え続ける汚染水の処理は、気の遠くなる作業だ。
 昨年末、政府は原子炉が安定冷却状態になったとして“収束宣言”を出した。しかし、危機的状態は何も変わっておらず、収束させるための知見を誰も持ちあ わせていない。いま、政府に求められるのは、原発の再稼働を押し進めることではなく、福島第一原発で進行している事態の深刻さをしっかりと認識すること だ。次の巨大地震と津波が来る前に、一刻も早く対策を講じなければならない。国民は、ボロボロになった原発の姿を脳裏に焼き付け、ずっと忘れないでほし い。

時がとまった町

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大震災発生を伝える地元紙が積まれたままに(JR常磐線浪江駅前)

 警戒区域見直しを先送りした浪江町。人っ子一人いない町の中心部を、時折警戒のパトカーが通り過ぎる。地震で倒壊した蔵造りの家や二階建て総ガラス張りのショーウインドーなどが、すべて崩れ落ちたままになっている。
 新聞販売店前に積まれた地元紙は、二〇一一年三月一二日付け。町は原発事故を境に時がとまってしまったようだ。
 浪江町請戸地区。ここには漁港があり、漁師や加工会社、民宿などがあった。すべてが津波で流された。水田だったところが、陥没したためか湖のようになっている。ガンやカモ、白鳥など冬の渡り鳥の絶好の休み場だ。
 津波で押し流された漁船が、何隻も海岸線から数百メートルのところに放置されている。瓦礫と漁船の間から、福島第一原発の排気塔やクレーンが見えた。

 

野良牛とミイラ

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牛の遺体は原発事故を静かに告発している

 中心部から離れた住宅地は、夏の間に雑草が背丈以上に伸び、枯れている。その雑草の向こうに、黒い大きな塊が動いた。なんと野良牛だ。
 避難した畜産家の放した牛が、警戒区域内で生きている。警戒心が強く、近づくとさっと茂みの中に逃げた。野生化した動物の素早い動きだ。
 一軒の酪農家の牛舎に入ると、異様な臭いが鼻をついた。つながれたまま餓死した牛が、ミイラ化して倒れ込んでいる。ぽっかりあいた眼孔、カラカラになったぬいぐるみのようなミイラは、原発事故を静かに告発していた。

「牛は原発事故の生き証人」

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「牛を置いて逃げるわけにはいかなかった」と語る吉沢さん

 浪江町と南相馬市の境界にまたがるM牧場は、現在も三〇〇頭の牛を飼っている。場長の吉沢正己さんは事故時、一四キロ先にある福島第一原発から噴煙が上がるのを目撃。「これでおしまいだ」と思った。
 しかし、牛を置いて逃げるわけにはいかなかった。ここにとどまって東電への抗議と賠償を求め、牛を飼い続けている。国の殺処分の要請を拒否し、被ばくし て経済的価値を失った牛を調査・研究に役立ててほしいと訴えている。
 汚染地で自分も被ばくするのに、なぜそこまでやるのか? 吉沢さんはエサをやりながら、「牛飼いの意地だ」「牛たちは原発事故の生き証人だから生かし続ける」と言った。
 四月からの警戒区域の見直しで、帰還しようとしている自治体もある。しかし、原発事故そのものが収束していない段階で帰還してもいいのか。国や関係自治 体は、その危険性を認識しているのだろうか。問わずにはいられない。

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津波で押し流された漁船の向こうに福島第1原発が見える

いつでも元気 2012.6 No.248

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