特集1 画期的な原爆症認定に関する医師団意見書 長崎で第9回被ばく問題交流集会 臨床医の立場から厚労省「基準」を批判
東京の集団訴訟原告を励ますつどい。京都訴訟の小西さんから東訴訟の東さんに贈られた勝利のカサが、こんどは東夫人から東京の原告団に贈られた |
広島・長崎に原爆が落とされてから六〇度目の夏。全日本民医連被ばく問題交流集会(七月九~一〇日)に、フリーライターで日本原水爆被害者団体協議会事務局次長でもある中西英治さんが参加。被爆者の目で集会を取材しました。
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「被爆者の組織ができたのは一九五六年。ビキニ水爆実験のあと、『また核兵器による犠牲者が出た』ということで日本全土に起こった原水爆反対のうねりに励まされ、この長崎の地に、被爆者が全国から集まって立ち上がったのです」
あいさつに立った長崎原爆被災者協議会事務局長の山田拓民さんの弁である。
被爆六〇年の夏に開かれた集会は、被爆者運動の原点を開催地に選んだ。長崎ビューホテルには、全国の民医連院所の医師や職員など七五人が集まった。
被爆者データベースを登録
向山新・被ばく問題委員(東京・立川相互病院医師)の「基調報告」を聞くと、被爆者にとって民医連の存在意義がきわめて大きいことが改めて実感された。
たとえば、民医連の院所は〇三年の一年で二万五一七件の被爆者健診を実施。被ばく問題委員会が提起した被爆者データベースの登録は、すでに二〇県連で一 万三四四二人分が登録された。これは全国の被爆者健康手帳所持者の四・九%に相当するという。
被爆者健診についても民医連は、健診内容を充実させることを要求している。老健法の成人病検診項目に準じた内容にすること、各種がん検診を加えること。 国が定めた健診項目は一九五七年の制度発足から変わらず、そのため医学的にも不十分で、被爆者の要求にも応えていない。この厚労省交渉は、筆者も毎回同席 してよく知っている。
民医連医師が集団討議重ね
圧巻は、聞間元・被ばく問題委員長(静岡・生協きたはま診療所長)が行なった「原爆症認定に関する医師団 意見書」の報告だろう。昨年一〇月にまとめられ、原爆症認定集団訴訟(原告一六六人)の法廷に提出された民医連医師団の意見書。原爆症認定に関する見解 を、医師たちが集団討議してまとめたのは初めてだという。画期的な意見書である。
現行の原爆症認定行政は、とにかくおそろしく壁が厚い。被爆者が、がんなどの病気にかかり、原爆症認定を申請(認定されれば医療特別手当を受けられる) しても、のきなみ申請を却下されるのだ。
しかし申請却下は不当だとして被爆者が起こした三つの裁判(京都、松谷、東)の七つの判決で、すべて被爆者側が勝利した。非科学的な基準で機械的に判定 する国のやり方は否定されたのである。にもかかわらず国の行政は改まらなかった。
「こんな認定のままでは死にきれない。抜本的に改めてほしい」と被爆者は原爆症認定集団訴訟に踏み切ったのだ。
この訴訟の法廷に提出された医師団の意見書は、日常的に被爆者医療にたずさわる医師の立場から、厚労省の認定基準に、根本的批判を加えている。とくに深い印象を受けた点にふれたい。
あらゆる文献を徹底的に参照
聞間さんは、意見書をつくる前提として、「被爆者の全体像をどうつかむか。全体的なデータを民医連が持っているわけではない。何に依拠したらいいか。これが最初にぶつかった問題だった」といわれた。
原爆後障害(被爆時や直後ではなく、のちになって現れる障害)の最大のデータは、放射線影響研究所(注)が持っている。とくに「寿命調査」や「成人健康 調査」に頼らざるをえないが、これには根本的欠陥があるという。
一つは、厚労省が認定基準で使っている「DS86」と呼ばれる方式についてである。これは、原子爆弾の爆発に伴って放射される初期放射線量の評価を示し ているにすぎないもので、遠距離で被爆した人、救護活動や肉親の捜索で爆心付近に入って「入市」被爆した人に見られた急性症状や後障害を、放射線被ばくと の関係で説明できない。
もう一つは、放射線の健康への影響調査のため、「被爆者」と対照する「非被爆者」のグループがあるが、ここに遠距離・入市被爆者が相当数含まれているこ とである。これでは、本来の「非被爆者」との比較にはならない。
また認定基準のもとになっているデータそのものが一九五〇年から八六年ないし九〇年までのもので、最近十数年のデータはまったく無視されているという。
医師団は、入手できるあらゆる文献を、徹底的に参照したようだ。
被爆13年目の厚生省指針では
とくにびっくりしたのは、被爆後一三年目の一九五八年に出された厚生省公衆衛生局長通知「原子爆弾後障害 治療指針」という文献である。この「指針」は、放射能障害について、初期放射線だけでなく残留放射能の影響を指摘している。「被爆者個々の発症素因を考慮 する」ことが大事だとし、「遠距離被爆の影響」や、「脱毛などの急性症状を重視する」こと、などの指摘もあるという。
なぜ驚いたかというと、これらはいままさに、被爆者が集団訴訟で主張していることなのである。
こうした観点は、現在の厚労省「基準」からはきれいに姿を消している。それに代わった「DS86」などの線量評価システムは、前身の「T65D」以来、 もともと米軍が核兵器開発のために考案したものだった。ひたすら「核兵器の効果」に注目し、初期放射線、それも外部被ばくだけを問題にし、残留放射能や内 部被ばくは無視された。
それをもとにした現行「基準」では、放射線の被害はとらえられないのだ。
認定率99%がなぜ20%に
ここでもう一度山田拓民さんのあいさつを引く。「一九五七年に原爆医療法ができて一〇年ほどは、認定率は 九九%から九五%でした。それがほんとうの姿だと思う。ところが今日は二〇%そこそこです。どうしてこんなことになってしまうのか」。この山田さんの疑問 にたいする答えを、聞間さんが行なった「指針」についての説明で聞いた気がした。
聞間さんによると、「被爆後一三年目のこの『指針』は、東大名誉教授だった都筑正男さんらの原爆症調査研究協議会が行なった調査がもとになっている。そ れだけに、当時の医師が、かつて経験したことのない原爆被害に直面し、さまざまな医学的な問題と格闘し、治療や対策をうみだそうと努力されたあとがうかが える」のだという。
この「指針」をはじめ、民医連意見書は、被爆者医療に関して集積されている知見をひろくふまえ、整理してつくられているのである。この点は非常に重要な ことだ。民医連意見書だからといって、臨床医だけ、それも民医連の内部だけ、という狭い立場からのものではない。
現行の原爆症認定のありかたが、その根本から詳細に批判されている。
「意見書」つくりあげ、民医連医師はまた一つ成長した
5月にニューヨークの国連本部で日本被団協が開いた初めての原爆展。秋葉広島市長(右端)、伊藤長崎市長(左端)とともに |
日常の被爆者診療の現場でも
さらに、臨床医が被爆者に向きあうさいの基本的視点が示されていることにも感銘を受けた。また、「被爆者 には単一がんだけでなく多重がんが発生する可能性が高い」「前立腺がんの発生率は、被爆者に高い可能性がある」「良性甲状腺疾患の放射線起因性について」 など、疾病ごとの考え方も示されている。
この意見書は、裁判の場や認定の申請に役立つことはもちろんだが、日常の被爆者診療の現場でも、指針として役立つだろう、と思った。
被ばく問題委員の齋藤紀医師(広島・福島生協病院院長)にあとで聞くと、「文献に当たりきることも、まとめあげるのも、ほんとうに大変だった。でもこれ をやりきって、民医連医師はまた一つ成長したでしょうね」といっておられた。
マウス実験の写真に衝撃
「会場に一歩足を踏み入れた瞬間、蕫しまった﨟と思いましたね」。こう語ったのは、長崎大学医学部・原爆 後障害研究施設教授(病理)の関根一郎さんである。一日目の記念講演の講師として招かれた関根さんは「学生たちに話す初歩的な話をするつもりでいたら、こ この話はレベルが高いし、聞いている人も非常に熱心で、これはちょっと困ったな、と」。
しかし、関根さんの講演は、原爆投下に至るまでの戦争の話からはじまって、マウスによる放射線の影響実験まで、詳細をきわめた。大好きだという美しい花 の写真をちりばめたスライドを映しながら、やさしい語り口で、大好評だった。
とくに筆者は、放射線の照射によって毛細血管や繊毛が壊滅してしまう映像に衝撃を受けた。被爆者の急性症状として脱毛や下痢はよく知られている。
それらの症状がなぜ起きるのかを、映像はずばり語る。毛根が死ねば髪は抜け、腸管の繊毛が壊滅すれば水分を吸収できず下痢が起こる。ひどければ脱水症状 でマウスは死ぬ。広島・長崎の被爆者もそうして死んだのだ。
各地のとりくみも多彩に
集会では、各地でのとりくみの報告も多彩だった。熊本からは、被爆者と非被爆者を対象にした健康調査の中 間報告があった(平和クリニック所長・牟田喜雄さん)。熊本の集団訴訟の法廷に提出するもので、中間集計でも、現行認定基準では却下される「2礰以遠の遠 距離被爆または入市被爆」群で悪性腫瘍の発症率などに、有意な差が認められたという。最終発表を期待して待ちたい。
被爆者問題のほかに、福井の核燃サイクルや、愛媛の伊方原発プルサーマル、青森の核燃料サイクル問題などの報告も充実し、民医連が住民とともに運動をす すめている姿が生きいきと語られた。
参加者には若い人も目立った。静岡・三島共立病院の阪下紀子さん(研修医)は「関根先生は、お話も科学的でわかりやすく、やさしいお人柄。こんな先生が いたら大学も楽しいと思った」という。
大学四年生のときマーシャル群島の核実験被害者調査に参加、ショックを受けた。静岡はビキニ水爆で被災した第五福竜丸の地。「被爆者の体験聞き取りの活 動もあるので、私も参加したいと思っています。いつかはアフガニスタンにいって、医療活動にかかわるのが夢です」
がんばって国境をこえ平和をまもる医師になってください、と私はいった。こんな若者を育てているのが、交流集会の大きな手柄なのだろう。
スペイン国会の第一副議長カルメン・シャコンさん(左端)に非核決議で要請する筆者(右から2人目) |
スペインで訴えた「ノーモア・ヒロシマ」
被爆60年に日本から被爆者迎え
国会、州議会で核兵器廃絶を決議
“情熱の国”スペインを、日本原水爆被害者団体協議会の中西英治事務局次長が訪問。そのリポートです。
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招待してくれたのは環境保護団体のグリンピース・スペイン(GPS)。被爆六〇年のことし、反核に力を入れていて、「国会や自治体への働きかけに力をかしてほしい」と被爆者を呼んでくれたのです。
会ったのは国会の第一副議長(すごい美女で、名前はカルメンさん)、加盟八〇〇〇自治体という全スペイン市長会の会長さん、マドリード市の社会党委員 長、バルセロナの市長さんと、そうそうたる顔ぶれ。
何より驚いたのは、会う人会う人がみんな「広島の原爆のことはよく知っています。スペイン人は原爆に深い関心をもっています」と、私の訴えを熱心に聞いてくれたことです。
国会で、被爆六〇年を機に核兵器廃絶を訴える全会一致の決議がされ、マドリード・カタロニアの二つの州議会でも決議が実現。広島市長らがすすめている平 和市長会議への参加促進でも手応えがありました。
「計画は一二〇%達成できた。被爆者にきてもらったおかげだ。私たちだけの力ではできなかった」とGPSも喜んでくれました。
有力紙から取材された際、「イラク戦争をはじめた有志連合の一角だったスペインが非核の声をあげることは、世界平和のために、イラク撤兵につづく第二の 貢献になる」と私がいうと、まだ若い記者は「スペインは世界の模範になれるんですね。自分の国に誇りをもたせてもらった」と喜んでくれました。
私は旅の間、どこでも「『ノーモア・ヒロシマ』が人類共通の思想になってほしい」と強調しました。
「『広島を繰り返すな』は報復否定の叫びであり、広島の死者たちをけっして忘れないという被爆者の決意です。そして世界のどこにも新しい被爆者をつくら せないという、国境をこえた友愛と連帯を、この言葉にこめた。『ノーモア・ヒロシマ』は、憎しみと報復の連鎖を断ち切り、人類を破滅から救う道をさし示し ているのです」と。
「広島の生存者と初めて会い、貴重な教えを受けた。記念すべき日になりました」といってくれたバルセロナ市長ホアン・クロスさんは、独裁者フランコとた たかった市民戦争兵士の子孫とか。かたい握手をかわしながら、「スペインはすごい」と改めて思いました。 (中西英治)
いつでも元気 2005.9 No.167