神々のルーツ
天皇主権時代の象徴
文・写真 片岡伸行(記者)
第1回 明治神宮、靖国神社
正月には多くの人が訪れる神社ですが、その起源や歴史はあまり知られていません。
古代の暗がりに分け入ると、“祈りの場”から見た日本列島の本当の姿が立ち現れてきます。
鬱蒼たる境内の森。広い参道をゆくと、重厚な拝殿が見えてきます。初詣の参拝者数で全国一の「明治神宮」(東京都渋谷区)。1920年(大正9年)創建と歴史の浅いこの神社は、明治天皇を祀り、130年余り前に始まった「天皇主権」時代を象徴する場所の一つです。
異常な56年間
〈大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス〉
1889年公布の大日本帝国憲法第1条の条文では、天皇が国を統治する主権者だと明確に宣言しています。しかし、明治時代以前の日本は天皇主権ではなく、征夷大将軍が政を治める事実上の主権者でした。
最初の将軍は鎌倉幕府を開いた源頼朝(1192年)で、最後の将軍は1867年に退いた江戸幕府の徳川慶喜。室町幕府の足利氏ら計40人の将軍がいた約700年間、天皇や朝廷は京都にいて年号制定などの仕事をしていました。政治の実権は対外的に「日本国王」を名乗っていた将軍にあったのです。
私たちは、1945年の敗戦で「象徴天皇制」になったと理解していますが、実はそれ以前も象徴天皇制のような時代が長く続いたのです。大日本帝国憲法ができてから敗戦に至るまでの56年間、この短い天皇主権の時代が、いかに異常な時代であったかが分かります。
この天皇主権の“国体”に利用されたのが、明治から昭和にかけての神社の姿でした。代表的な施設が1879年に「東京招魂社」から改称した「靖国神社」(東京都千代田区)です。天皇と国に殉じた軍人・軍属を祀るので「戦争神社」と言われることも。A級戦犯を祀り、侵略戦争を美化するような主張をしているためか、1975年を最後に歴代天皇はここを訪れていません。
今は「国民主権」の時代ですが、実は表のように「国民の」ではなく「天皇家の」儀式(=皇室神道)に関わる祝日が全体の過半数にのぼります。私たちはいまだ異常な56年間の残影に浸かっているかのようです。
多民族の列島に萌芽
本連載では、神社の起源に迫るため古代にまで時間を遡ります。古代とは日本の場合、古墳時代の西暦200年代半ばから平安時代までの約800年間です。
神話と事実がないまぜの『日本書紀』『続日本紀』をはじめ、限られた史料をもとに神道と神社の姿を見てゆくと、この国の歴史や成り立ちと密接に関わっていることが分かります。
この国と関わりがあるということは、列島に生きる私たち自身と関わりがあるということ。ですから神道や神社について誤った認識をしていたり、事実と異なることを信じていたら、この国の成り立ちを誤解、曲解していることになります。それはとりもなおさず、私たち自身の本当の姿を見失っていることを意味するでしょう。
よく「神社は日本民族固有のもの」などと言う人がいますが、そもそも“日本民族”という単一の民族は存在しませんし、人種的に私たちはモンゴロイドです。列島にはアイヌ民族や琉球民族などが先住し、中国大陸や朝鮮半島からも多くの人が移住してきました。「日本は単一民族国家」などと臆面もなく発言する政治家もいますが、無知も甚だしいものです。神道および神社は、そうした多民族の列島の中で萌芽したのです。
さて、古代の暗がりの中に立ち入る前に、100年あまり前の神社を巡るこの国の姿をもう少し見ていきましょう。(つづく)
いつでも元気 2022.1 No.362