スラヴ放浪記
文・写真 丸山美和(ルポライター、クラクフ在住。ポーランド国立ヤギェロン大学講師)
そろそろ2024年も暮れる。キリスト教圏のスラヴ地方は、11月末からクリスマス商戦が始まる。私が住むクラクフにも市が立ち、雰囲気は日本の暮の市や初市と似ている。店先には色とりどりの焼き菓子や素朴な木製の玩具が並び、道行く人の目を楽しませる。最高気温が氷点下になる日も多く、人々は分厚い上着とマフラーなどで防寒し、そぞろ歩きをしている。
ポーランドで子どもにプレゼントが届くのは、クリスマスよりちょっと早い12月6日。サンタクロースの起源にあたる「聖ニコラウスの日」で、ポーランドでは「ミコワイキ」と呼ばれる。平日でも子育て中の両親はプレゼントを渡すため、足早に職場を去り家路を急ぐ。友人同士も小さなプレゼントを交換。職場ではサンタクロースに扮した人が同僚にちょっとしたお菓子をふるまうこともあり、大人も子どもも笑顔になる嬉しい一日だ。
12月も半ばになると、市場に直径5mほどのプールが出現する。中には丸まると太ったきなコイが泳ぐ。クリスマスイヴに各家庭がコイ料理を作るからだ。
海なし県・栃木出身の筆者は、川魚のコイ料理に郷土食として親しんできたため、なんともいえぬ親近感を覚えた。しかし魚より肉を多食する文化圏でなぜ、よりによってコイを特別な日に食べるのか。親友のアレクサンドラに聞くと「コイがクリスマス料理になったのは、ごく最近だよ」と、意外な答えが返ってきた。
先の大戦後、旧ソ連の衛星国となったポーランドでは食料が配給制となり、生活はとても貧しかった。そこで政府が目を付けたのがコイの養殖。コイは成長が早く飼育も容易でコストがかからない。庶民の腹を満たす格好のモデルとして、1947年に「ポーランドのクリスマスイヴは、すべての家庭の食卓にコイを!」というスローガンを掲げ、コイ料理を普及させた。この時代はクリスマス休暇の前に、ボーナスとしてコイが従業員に贈られることもあったという。
そんな話を聞いた数日後、友人のアグニエシュカから「ミワ、ヴィギリア(クリスマスイヴのこと)は予定があるの?」と聞かれた。ポーランドは12月25日と26日が祝日で、クリスマスイヴには親族が集まって宴を催し翌朝は教会へ行く。日本の年越しに似た一大イベントだ。何もないと答えると、「それなら、両親の家に招待するからおいで」。小躍りして快諾した。
彼女の両親の家は、クラクフ中央駅からローカル線で1時間あまりのボフニャ駅近くにある。迎えに来たアグニエシュカと家に入ると家族が次々に姿を見せ、温かく迎えてくれた。
父親のスタシェクが私をキッチンに招き、オーブンで焼く前のコイを見せてくれた。テーブルには耳の形をした練り物「ウシュカ」が山と積まれている。ポーランド語で「小さな耳」という意味で、見た目は栃木県佐野市の名物「耳うどん」に酷似しており仰天した。
ウシュカには、キャベツの千切りと秋に森で収穫した野生の干しキノコが包まれており、赤かぶのスープに浮かべて食べる。日本の年越しそばのような感覚だ。
「さあ、始めましょう!」と呼ぶ声が聞こえて居間に行くと、家族全員が集まっていて「聖餅」※を渡された。一人ひとりに健康と幸せを願う口上を述べ合い、聖餅のかけらを食べて抱き合う。やがて全員が食卓につき晩餐が始まった。12種類のクリスマス料理をたらふくいただいたが、コイ料理が一番おいしかった。
夜も更けて帰ろうとすると「泊まっていきなさい」。ご厚意に甘え、ぬくぬくとした気持ちで眠りについた。良い年が迎えられそうだ。
※聖餅 礼拝するために用意されたパン。聖体ともいう
いつでも元気 2024.12 No.397
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