夢をあきらめない社会に
文・武田力(編集部) 写真・五味明憲
熊本県長洲町で起きた「長洲事件」を知っていますか。
看護師を目指す若者を襲った事件の概要と問題点を考えます。
例えば、あなたが高校を卒業して看護師を目指していたとする。無事に看護専門学校の准看護科 ※1 に合格して、看護師になるための勉強を始める。
そんな時、同居する家族が生活保護を利用することになった。福祉事務所の職員(ケースワーカー)は「あなたの生活費と学費は、生活保護から支給できません」と言う。現在の生活保護の運用では、高校を卒業すれば「稼働能力がある」と見なされ、学生でも自力で生計を立てなければならない(世帯分離という)。
あなたは必死にアルバイトで生活費と学費を稼ぎながら、勉強を続ける。2年後、准看護科を卒業して准看護師の資格を取得。同じ学校の看護科(3年課程)へ進学する。
「あと3年頑張れば、正看護師になれる」。昼は病院で働きながら、夜に学校へ通う生活。准看護師の資格を得たことで、月十数万円の収入を得られるようになった。最終学年で予定される実習期間のために、節約して生活費を貯めておかなければ…。
ところが、目の前に現れた福祉事務所の職員が言い放つ。「あなたの収入を家族と足せば、生活保護の水準を上回ります。世帯分離をやめて、生活保護を廃止します」。
※1 准看護師 医師や歯科医師、看護師の指示のもと、看護や診療の補助を行う
執拗にドアを叩いて
長洲事件の概要をもとに記述した。この看護学生を仮にAさんとする。
「家族(祖父母)の生活費まで負担したら、学校を続けられない」というAさんの訴えは聞き入れられず、同居する祖父母は生活保護の利用を止められてしまった。
このあと祖父が生活保護を再申請。自宅にやってきた福祉事務所の職員は、Aさんの部屋のドアを30分以上叩いて祖父母への援助を迫ったという。精神的に追い詰められたAさんはうつ病を発症し、1年間の休学・休職を余儀なくされた。
「若者の夢や未来を奪うようなことを福祉事務所の職員がやるなんて到底許せない」と憤るのは、花園大学教授の吉永純さん。自身も福祉事務所で長年にわたりケースワーカーを務めた。「看護師になる目的を達成していないのに、多少の収入増に目を奪われて扱いを変えるなんて、普通はしない。長洲は極めて特異な事件」と言い切る。
生活保護法には、法律の目的(第1条)として「最低限度の生活の保障」とともに「自立の助長」が規定されている。「福祉事務所の職員がしたことは、明らかに法律の趣旨に反する。生活保護世帯の若者こそしっかり自立を支えなければ、貧困の連鎖が延々と続いてしまう」と吉永さんは語る。
福岡高裁が不当判決
Aさんの祖父が「世帯分離解除の違法性」を訴えた裁判で、第一審(熊本地裁)は原告(祖父)が勝訴。しかし第二審(福岡高裁)は、Aさんが准看護師資格の取得で「自立を一応達成」したとして、福祉事務所の“裁量”を大幅に許容する逆転判決を下した。
長洲事件弁護団の髙木百合香さんは「後世に残してはいけない不当判決」と力を込める。「一応の自立とはどういうことか。福祉事務所の勝手な匙加減で、いつでも世帯分離を解除できることになってしまい、若者が安心して学び続けられなくなる」と話す。
自力で生活費と学費を稼いでいる学生は、実習や研究、就職活動などのためにもお金を貯める必要がある。現状はその収入や貯金の申告を求めるような運用はされていない。
髙木さんは「長洲事件のようなやり方が裁判所のお墨付きを得て正当化されたら、厚労省が全国に通知して広げかねない」と心配する。決着は最高裁の判決にかかっている。
自分ごととして
熊本県民医連は、昨年5月から「ナース★アクション」の一環として長洲事件の裁判支援を始めた。髙木さんが「看護師さんの生の声を聞きたい」と連絡したのがきっかけ。髙木さんの学習会に参加した看護師たちが、資格を取った経緯や事件の感想を綴ったメッセージ集を作成。弁護団が福岡高裁へ提出した。
熊本県民医連副会長の川上和美さん(看護師)は「みんな苦労して看護師という夢をつかんだ。それぞれの歩みをAさんと重ね合わせて、自分ごととして捉えている」と語る。
熊本県民医連事務局の中山奈央子さん(看護師)は、毎回裁判の傍聴に出向き、機会あるごとに署名を広げてきた。「もっと多くの人に事件について知ってもらい、若者や看護師の実態を裁判所に届けたい」と話す。
9月には最高裁に全国から寄せられた3万7959人分の署名 ※2 を提出。苦労した末に看護師として働くAさんが「ほっとするような判決を」と、中山さんは願う。
※2 オンライン署名1万5596人分を含む
署名のお願い
最高裁の審理はいつ始まるか分からず、できるだけ早く署名を届ける必要があります。
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いつでも元気 2024.12 No.397
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