スラヴ放浪記 戦時下のウクライナ交通事情
文・写真 丸山美和(ルポライター、クラクフ在住。ポーランド国立ヤギェロン大学講師)

ウクライナのキーウ駅構内。空港同様の厳重なセキュリティーチェックが行われる
2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻から既に3年。国外に逃れた難民は約690万人、国内でも370万人が故郷を追われ1270万人が人道支援を必要としている。
筆者は大学の授業がない週末はウクライナへ行き、人道支援と取材活動を繰り返している。戦争前は航空機のチケットが格安で買え、短時間で気軽に行けたが現在は空港が閉鎖されている。
人道支援は、一つとして同じルートはなく使命もさまざま。子どもたちにパソコンや学習道具を届けたり、お年寄りにおむつや食料品を運んだり。軍の病院へマットレスや車いすを届ける旅もあれば、前線まで医療用の車両を運ぶ旅もある。
道中、悪天候や悪路、車両の故障などさまざまなアクシデントが起きるが、人道支援は自己完結で立ち止まることはできない。特に地方の道路は爆撃で穴だらけのため、重い荷物を積んだ車での移動は困難が多い。そんななかでも、列車の移動ではいつも楽しみを見つけている。
ウクライナの国土は広大だ。ポーランドとの国境沿いにあるクラコーヴィエツから、ロシア国境沿いにあるドネツクまで約1500㎞もある。飛行機が飛ばない戦時下、旅行者にとって貴重な移動手段が、長距離を運行するバスと列車だ。
バスの利点は、ウクライナ国内に限らず西ヨーロッパ諸国まで運行していること。筆者が暮らすポーランドのクラクフでは、一日数十本のバスがウクライナと往復している。ただし最近は、ウクライナとの国境で待たされることが増えており、到着時間が大幅に遅れる。国境で7時間も立ち往生したこともある。
国境では荷物が厳しくチェックされ、1度の通過で2回もバスから下車し長い行列に並ぶ。パスポートと荷物のチェックを受け、再びバスに乗り込むまで1時間ほど。一連の作業は体力を消耗する。特に酷寒の季節に外へ放り出されて並ぶのは苦行で、まるで難民になった気分だ。
その点ウクライナ国鉄の長距離列車は、一人あたり一つの寝台が与えられ、ありがたい。昼間の移動でも寝台列車が多く、枕、シーツ、毛布、タオルまで貸してくれ伸び伸びと横になれる。コンセントもありスマホの充電もOK。パソコンでデスクワークもできるが、長距離の走行中は原野を横断することが多く、インターネットがつながらない。
車両のタイプは1等車から3等車まであり、筆者はいつも4つの寝台が上下にある2等車を使っている。見知らぬ乗客同士もすぐに仲良くなり、車内販売でコーヒーやお菓子を買って飲食しながら話が弾む。
どうしても戦争の話題が中心になるが、お互いの家族や仕事について紹介し、下車間際に連絡先を交換することも。車内販売は手ごろな価格で、ハーブティー1杯が約80円。カップ麺や列車によってはビールや温かいランチセットもある。
3等車は仕切りがなく開放的。反面、隣の乗客がウオツカを飲んで騒ぎ、ニンニクを使った臭いの強い料理などを持ち込んでいる場合は大変だ。1等車はまだ乗ったことがないので、一度体験してみたい。
ウクライナの首都、キーウ。深夜のキーウ駅は灯火管制で暗く、冷え込んでいる。到着して乗り込む車両は暖かい。車掌にコーヒーを頼み寝具を整えていると、列車が静かに動き出す。ミサイル警報が鳴っていても、列車は乗客を乗せ漆黒の闇を黙々と走り続ける。ふと隣の寝台を見ると、母親と乳児がぐっすり眠っていた。
いつでも元気 2025.5 No.402
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