若者が見たオキナワ
文・福田夏野(編集部) 写真・今泉真也

1月23日に嘉数台公園から見た普天間基地。住宅と隣接しているのが分かる
全日本民医連「第54次辺野古支援連帯行動」が1月23~25日に行われ、20の都府県から職員30人が参加しました。
沖縄県名護市辺野古の新基地建設に反対する県民に連帯するとともに、戦争の準備が進む沖縄の実態を学んで全国に知らせようと2004年に始まった行動。
今回は20代の若手職員を中心に取材しました。
1月24日午前8時半、辺野古支援連帯行動の参加者は名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲートに向かった。新基地の建設現場周辺には警備員が配置され、カメラや望遠鏡でこちらの様子を監視する異様な光景が。ゲート前には無表情の警備員約40人が立ち並ぶ。民医連職員も住民とともに座り込んで抗議に参加。警備員やサングラスをかけた機動隊に囲まれ緊張が走る。
しばらくすると、機動隊員が「立ち塞がりをやめて、速やかに移動してください」とアナウウンスする。コロナ禍を経て、以前のように有無を言わさず力ずくで移動させられることはない。しかし、警告に応じない住民は機動隊員に持ち上げられ、強制的に動かされる。それでも住民は再びゲート前に座り込む。「なんとしても沖縄の平和と自然を守りたい」。その気持ちが伝わって来た。
「ここに来たのは20年ぶり。まだ県民のたたかいが続いていることに驚いた」と話すのは、こびらい生協診療所(滋賀県栗東市)看護師の牧野あす香さん(25歳)。当時5歳の牧野さんは、家族に連れられ座り込みに参加した。「あの時はわけも分からず参加していた。もう一度自分の目で見てみたかった」と言う。
神戸健康共和会(兵庫県神戸市)事務の相野早紀さん(29歳)は、兵庫民医連主催の勉強会をきっかけに参加。「住民を持ち上げる機動隊員の顔から葛藤や苦しみを感じた。同じ日本人なのにどうして…」と悲しい対立に疑問をこぼす。
ふれあい生協病院(埼玉県川口市)事務の今井彩月咲さん(23歳)は「基地に怖い印象をもったが、それより県民の平和を守りたいという思いがとても伝わってきた。私もともに守っていきたい」と話した。
壊される沖縄の海
ゲート前に続いて、瀬嵩の浜から基地建設のために海が埋め立てられている大浦湾を一望。大浦湾はジュゴンをはじめ5300種類以上の生物が生息する豊かな海。浜にはサンゴや貝殻が打ち上げられ、ウミガメの産卵地となっている。しかし昨年8月から始まった大規模な地盤改良工事で、生態系への影響が懸念されている。
対岸には建設現場や大型作業船、監視船が見える。まっすぐに海を見つめていた大手町病院(福岡県北九州市)事務の宗貴行さん(24歳)。「きれいな海から少し視線をずらすと、工事現場が目に入る。沖縄の海が壊されている現実を目の当たりにした」と話す。
当初の基地建設予算は約3500億円。大浦湾の軟弱地盤改良工事に伴い、国は予算を9300億円に引き上げた。既に5319億円を費やしたが、工事の進捗状況は16%ほど。
1月29日に始まった改良工事では、合計約7万1000本もの杭を打ちこむ。3年10カ月で1000本の予定だが、2月末までに打設できたのは約300本。このペースだと20年以上かけても工事は終わらない。
終わりなき軍拡
続いて向かったのは対馬丸記念館(那覇市)。1944年8月22日に起きた対馬丸事件の詳細や被害者家族の証言、犠牲者の遺影などが展示されている。
沖縄から九州に集団疎開する児童や教師を乗せた貨物船が、米軍の魚雷によって沈没した事件。犠牲者は分かっているだけで1484人で、そのうちの784人は子どもだった。
1階には414人の遺影を展示。2階では沈没後に漂流した児童の様子がアニメーション映像で流れた。参加者はじっと映像に見入り、当時の児童の絶望や悲しみ、生き残った苦しみに思いを馳せる。宗さんは「大きな被害にもかかわらず、残された遺品は少ない。生き残った方も自身が生きていることを喜べない状況を知り、やるせない気持ちになった」と話す。
支援連帯行動の情勢学習では、沖縄民医連の名嘉共道事務局長が講演。「沖縄の負担軽減を名目に、日本全国で米軍の活動が広がっている」と話す。
国は今年度予算案で、軍事費を前年比9・5%増、過去最大の8・7兆円に引き上げた。「防衛力の抜本的強化」を掲げ、敵基地攻撃に関する衛星網や攻撃型無人機の購入費を計上した。
「物価高騰や医療制度の改悪など、国民の負担は増える一方で、新基地建設予算はどんどん膨らみ、完成の目途は立たない。沖縄の問題ではなく自分事として考えることが大事」と相野さん。
暗闇に包まれて
初日に訪れた道の駅かでなの展望台では、極東最大の嘉手納空軍基地(嘉手納町)を見学。約4㎞の滑走路をオスプレイや戦闘機、ヘリコプターが離着陸する様子が見える。ガイドを務める沖縄民医連の瀬長和男さんの声が騒音でかき消される。騒音計は赤い警戒色で、最高90デシベルまで上がった。
「危険な低空飛行が行われている。騒音で住民は夜も眠ることができない」と瀬長さん。米軍基地がある限り、有事の最前線として戦場になる可能性やオスプレイの騒音、墜落事故、米兵の犯罪など県民は不安と恐怖にさらされる。
当時の沖縄県民の4人に1人、約12万人が亡くなった沖縄戦。特に南部は激戦地となり、住民はガマと呼ばれる自然洞窟に避難した。
そのガマのひとつ糸数アブチラガマ(全長270m)を見学した。入口は天井が低く足場も悪いため、参加者は慎重に下りていく。中はじめじめしており、少し生暖かい。
当初避難壕だったアブチラガマは、戦闘激化につれ野戦病院へ。軍医や看護師、ひめゆり学徒隊ら約30人で、600人以上の負傷兵の看護に携わった。食事や睡眠は十分にとれず、ガマ内は遺体や汚物の異臭が漂う劣悪な環境だったという。
もう助からないと判断された兵士たちが放置された一角へ。「絶望の中で、死を待つしかなかった兵士の苦しさと無念さを想像してみてください」というガイドの指示で懐中電灯を消す。
光ひとつない暗闇が広がり、すぐ近くにいるはずの参加者の姿も全く見えない。鍾乳洞からしたたる水の音が静かに響き、暗闇に押しつぶされるような息苦しさを感じた。
看護師の牧野さんは「こんなに暗い中で、治療を続けたひめゆり学徒隊や負傷兵のことを思うと辛かった…。私だったら看護師として何ができただろうか」と当時を想像する。
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3日間を振り返り、「学んだことを職員に伝えたい。平和=医療の充実だと考えている。患者さんが一人も取り残されない平等な医療を提供していきたい気持ちが強くなった」と牧野さん。
昨年8月に入職した宗さんは「平和学習は民医連ならでは。今後も平和を学べる機会があれば参加したい」と言う。「自然の大切さと歴史の重みを同時に感じることができた。沖縄で学んだ歴史や人々の思いを発信したい。医療を通じて平和に貢献できる方法をこれから模索したい」と今井さん。
「次の連帯行動にも若い職員を送り出し、自分たちに何ができるのかともに考えていきたい」と相野さん。沖縄から帰った後も、3月12日の安保破棄中央実行委員の集会に参加し、今回の行動を報告した。
今回取材した私(28歳)は、昨年4月に全日本民医連に出向する前は京都市の薬局で事務をしていた。ニュースでは沖縄のことを知っていたが、現地に赴かないと感じられないことがある。最後に訪れた魂魄の塔には韓国の慰霊塔もあった。「日本人は被害者であり加害者でもある」という瀬長さんの言葉が心に残る。一人ひとりの犠牲に目を向けて、平和の大切さを訴えていきたい。
若者の意識を変えた辺野古支援連帯行動。声を上げ続けることが、平和への一歩になる。学んで終わりではない。自分の言葉で平和の重要性を語り、私たちはオキナワとつながっていく。
いつでも元気 2025.5 No.402
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