スラヴ放浪記 誰も座らない便座
文・写真 丸山美和(ルポライター、クラクフ在住。ポーランド国立ヤギェロン大学講師)

誰も座らない鉄製の便座
スラヴのトイレ事情
こちらで暮らしていると驚くことがたくさんあるが、日本人にとって最もハードルが高く、時々心が折れそうになるのが、なにを隠そう〝トイレ〟だ。
チェコを除くスラヴ地方の国々の鉄道駅やバスターミナルでは、トイレがいまだに有料であることが多い。ポーランドの主要駅も有料だが、カード決済で簡単。しかし地方に行くと、硬貨がないと入れないトイレもある。カード社会に慣れて、手持ちに硬貨がないと大変だ。
数年前、アドリア海に面したモンテネグロを旅した。自然が豊かで食べ物もおいしいが、有料トイレに苦労した。モンテネグロの主要交通機関は乗り合いバスで、隣国のセルビアやクロアチアなどへの移動も便利。長距離移動の際は、途中のバスターミナルでトイレ休憩をする。
あるトイレの前で、恰幅のよい年配の女性が待ち構えて料金を徴収していた。カードは不可で、運よく硬貨が財布にあり入室。しかし有料なのに紙がない。入り口に戻ると、半世紀前の日本にあったような、落とし紙が薄く折りたたんで売られていた。スラヴ各国を旅する際は、硬貨とティッシュペーパーを持ち歩くことを強くお勧めする。
ウクライナの人道支援の帰路、ポーランドに入って最初のパーキングエリアでいつも休憩するのだが、トイレを利用するたび便座に座ることを躊躇する。便座は鉄製で、日本のように清潔で暖房機能がついているわけではない。
冷たい便座に腰を下ろすことが嫌なのではない。一度座ったことがあるが、なんとも言えない濡れを感じ、トイレットペーパーを水に浸して接触した部分を拭いた。
以来、便座に座ることに抵抗があり、中腰で用を足している。筆者はよく笑うので腹筋が鍛えられており、中腰は苦にならないが、この特異な格好で用を足していることを誰にも言えずにいた。
先日の人道支援の帰り道、くだんのパーキングエリアに着いた際、意を決して仲間に聞いてみた。すると口をそろえて「中腰だよ」と言うではないか。便座は不潔なため、座らないことが暗黙の了解なのだ。
座って用を足すはずの便座に、誰も座っていないことが判明した。そして誰も座らないからこそ、高所から落下する排泄物が余計に飛び散る。こんなに不便なら、腰を下ろせる和式トイレのほうが快適だ。
事実、ウクライナ南部の鉄道駅や、モルドバ、モンテネグロのバスターミナルなどは、和式のトイレで清掃もおおむね行き届いており清潔。気持ちよく利用した。
ウクライナの国境検問所では長時間待たされるため、トイレの利用頻度が高い。しかし紙がないことから、筆者はやむなく我慢したことが何回もある。人道支援でウクライナの小学校を訪れ、その際にトイレを借りることもあるが、やはり紙がないことが多い。
子どもたちはいったいどうしているのか。疑問に思い、支援仲間のウカシュに聞くと「ウクライナは貧しい国だから、学校のトイレットペーパーに予算がつかない。子どもたちは各家庭から持参しているのだろう」と言う。
日本では地震など災害の際、避難所の汚いトイレや和式を敬遠して我慢し、健康被害が起きると聞く。清潔なトイレとウォシュレットに慣れた日本人は、野外で用を足すことなど考えられないのではないか。
スラヴ地方では周囲にトイレがなかったり、あまりに混んでいた場合、人気のない場所に行って、さっさと用を足す人を何度も見た。ウカシュは「男女関係なく、野外で用を足すことに抵抗はない」と言う。スラヴ民族のたくましさを垣間見る思いがした。
いつでも元気 2025.7 No.404
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