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いつでも元気

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消えたまちそれでも 「新しい町」の出現(最終回)

文・写真 豊田 直巳(フォトジャーナリスト)

崩落したJR常磐線の鉄橋。手前は一緒に被災地を取材して、映画「遺言 原発さえなければ」を共同監督した野田雅也さん(2011年3月13日撮影)

崩落したJR常磐線の鉄橋。手前は一緒に被災地を取材して、映画「遺言 原発さえなければ」を共同監督した野田雅也さん(2011年3月13日撮影)

2011年3月の東京電力福島第一原発事故から14年。フォトジャーナリストの豊田直巳さんが、福島のまちで起きている現実をレポートします。

 福島原発事故が起きた直後の3月13日朝、双葉町に入った。崩落したJR常磐線の鉄橋を見て、事故前の130倍ほどの放射線が飛び交う中で思った。「この鉄橋の上を電車が走ることは、もう二度とないだろう」。
 実はその10日前に、ウクライナでチェルノブイリ原発の周辺を取材していた。1986年の原発事故から25年経っても、廃村に民家が崩れるままに放置されていた。
 ところが私の日本理解の浅さを嘲笑うかのように、常磐線は2020年3月に全面運転を再開。膨大な数の除染作業員や路線復旧作業員に被ばくを強いて、無人となった町の駅も増改築された。

〝復興〟の名のもとに

 それから5年後の今年3月のこと。県外の避難先から一時帰宅した男性は、やるせない思いを口にした。
 「石ころを蹴りながら学校へ通った道も、建物が消えると思い出せなくなる。〝復興〟で商業施設ができても、その下にはかつて町民が住んでいた家や店があった。それらが消えてなくなるのは、やっぱり町そのものがなくなってしまうようで…。双葉町という名前は残るけれども、新しい町になってしまうんでしょうね」
 避難生活を続ける彼も、町の大半の家が動物に荒らされたり、壊れた屋根の雨漏りなどで損壊し、改築すらもできない状態であることを知っている。町民の多くが「自宅を解体するしかない」と、苦渋の選択に追い込まれたこともよく理解している。
 しかし、それでも釈然としない。自分の生まれ育った町が文字通り消えていくことが、〝復興〟の名のもとに行われる現実に違和感を拭えない。

「真の価値を創造」?

 建物の解体工事と前後して、建設ラッシュが進むのは双葉町に限らない。同町に隣接する大熊町でも、今年3月に巨大な公共施設(産業交流施設)がオープンした。
 その名も「CREVAおおくま」。CREVAはCREATE(創造する)とVALUE(価値)を合わせた造語で、「復興への道をより一層力強く進む」ために、「町民みんなが誇りを持って真の価値を創造していく」願いを込めたという。
 町が1年前に新築した大野南住宅エリアの「再生賃貸住宅」(30戸)は現在満室。会津地方での14年間の避難生活を終えて入居した男性に聞くと、「ここに〝帰ってきた〟のは自分も含めて10軒。そのうち夫婦は3組で、あとは他所から来た人たち」だと言う。
 「俺はここで生まれ育ったわけではないけれど、原発事故まで39年暮らしていたから、戻って少しでもこの辺りを花で飾れたらいいなと。だって、何もない中で草ぼうぼうにしたら、誰も戻ってこないと思うから」と話す。
 町には現在1491人が居住しているが、そのうち〝帰還町民〟は320人。つまり町は、1100人を超える移住者や一時滞在者が暮らす「新しい町」になっている。

置き去りにされる人々

 こうした現状は、原発事故による放射能汚染に曝され、避難指示が発せられた12市町村のどこでも見受けられる。
 福島県は移住者を呼び込もうと、一世帯当たり200万円、単身でも120万円の支援金を移住者に積む。さらに起業支援金400万円や、一定期間県内でテレワーク事業などをすれば30万円の補助など、手厚い支援を続けている。
 各市町村でも、新築に500万円や修繕に300万円などの住宅支援、電気自動車購入に110万円の助成など、「新しい町」に人を呼び込もうとする施策が続いている。
 「思い出のまちが消え、別の町になる」ような〝復興〟が進む中、避難を続ける人々は置き去りにされてはいないだろうか。

いつでも元気 2025.8 No.405