青の森 緑の海

2019年9月 奄美大島沖
大学時代、旅は必ずフェリーに乗って出かけていた。沖縄から南の八重山へ、北の鹿児島へ、東京へ。そして北海道へ。
飛行機代をフィルム代に充てたかったのが主な理由だが、まるで季節を追いかけるように時間をかけて海をたどることも、豊かなことと感じていた。本来、旅というのはそうした移動時間も味わうものなのかもしれない。
島に暮らす者にとって、連絡船は外の世界への身近な玄関だ。航空運賃が安くなった現在も、船は島々を繋ぐ役割をしっかりと果たしている。
徳之島や奄美大島、石垣島などの港にいると、見送りの場によく出会う。部活動の大会、県外への出張、出産や帰省など、それぞれの人生が垣間見える時間が好きだ。
写真は2019年9月、奄美大島沖での一コマ。大島高校空手道部の生徒だ。島には高校が少なく、対外試合のため連絡船に乗って出かける。滞在先では宿泊代もかかるので、渡航費を抑えられる海路は重宝する。海から故郷を眺めながら、とりとめもない話に花を咲かす彼らの姿は、山岳部に青春を捧げた僕にはとても懐かしかった。
その翌年1月、コロナが国内で初めて確認され、〝旅〟は大きく制限された。コロナの始まりがクルーズ船からだったこともあり、フェリーの密閉された2等客室に全く人のいない時期が続いた。仕事でやむを得ず離島に行く時も、何度もPCR検査をしたことが思い出される。
困難な時代を乗り越え、連絡船はこれからも旅を続けるだろう。
【今泉真也/写真家】
1970年神奈川生まれ。中学生の時、顔見知りのホームレス男性が同世代の少年に殺害されたことから 「子どもにとっての自然の必要性」について考えるようになる。沖縄国際大学で沖縄戦聞き取り調査などを専攻後、沖縄と琉球弧から人と自然のいのちについて撮影を続ける。写真集に『神人の祝う森』『SEDI/ セヂ』など。
いつでも元気 2025.10 No.407
