スラヴ放浪記 住まい放浪記 ポーランド住宅事情
文・写真 丸山美和(ルポライター、クラクフ在住。ポーランド国立ヤギェロン大学講師)

世界文化遺産、クラクフの美しい街並み
先日、引っ越しを終えたばかり。これで6回目と、ポーランドでは引っ越しだらけの人生だ。
引っ越しを繰り返す理由の一つに家賃の高騰がある。2022年2月、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。ウクライナの難民の多くは隣国ポーランドに逃れ、家賃が大幅に値上がりした。
筆者がポーランドのクラクフで生活を始めたのは7年前。当時のアパートの家賃は、1DKで日本円に換算して5万円もあれば十分だった。現在は円相場下落の影響もあり、10万円以上の物件が多い。
ロシアからのエネルギー供給に依存していたポーランドでは、戦争が始まってから光熱費も高騰。スラヴ地方は寒くて暖房代がかかるうえ、あらゆる物価も上がっており生活は大変だ。
親元を離れてクラクフの大学に通う学生にとっても家賃は悩みの種。学生の多くは部屋だけを借り、トイレやバス、キッチンは住人同士でシェアするアパートを選ぶ。 部屋代は広さにもよるが4~6万円程度で日本よりも高く感じる。アパートの多くは高層で、中心部だけでなく郊外にも林立している。
クラクフの住まいは、おしゃれな新築物件もあれば築数百年を超える年代物までさまざま。クラクフは14~16世紀に王国として栄えたポーランドの王都で、中心市街地は1978年に世界文化遺産に登録された。
それぞれの建物は石やレンガでできており、重厚な輝きを放っていて美しい。ポーランドは地震がほとんどないことから倒壊せず、住人はリフォームを繰り返しながら何世代にもわたって住み継いできた。
クラクフで暮らしてきた7年間のうち、3年は築200年の石造りの建物の中にあるアパートに住んでいた。木の階段は真ん中がすり減っており、部屋の天井は4m以上もあった。実際の部屋の面積以上に広々と感じた。
初めて借りたアパートは、第2次世界大戦中、ポーランドに侵攻したドイツ軍が建てた兵舎だった。当時は最新式だったのだろう。エレベーターもあった。
ところが、エレベーターの振動が尋常ではない。「ガタン!ガタン!」と音を響かせながら高速で昇降する。アパートを訪れる友人は、「ここのエレベーターは恐ろしい」と、階段を使い7階の筆者宅まで上り下りした。
間取りは下階は狭く、上階にいくほど広い。下階は20㎡以下のワンルーム、上階は30㎡程度の1LDKか2DKが多い。いずれにしても狭く、戦争中は単身の若い兵士が住んでいたのかもしれない。
ポーランドに限らず旧ソ連衛星国やスラヴ各国では、第2次世界大戦後からソ連崩壊までに建てられた団地やアパートの景観がよく似ている。
当時のアパートは全て国営で無料で提供された。共通しているのが、間取りが2部屋と狭いこと。友人のウカシュによれば、「3部屋や4部屋もあるアパートは特別に豪勢だった」という。
先日、ウクライナの首都キーウに住む友人、スヴィトラーナの自宅に数日間滞在した。自宅は中心部の閑静な団地の一角にある。当時のウクライナ・ソビエト社会主義共和国の政府が、彼女の両親に無償で与えたという。旧ソ連の崩壊に伴い、ウクライナは1991年に独立した。
スヴィトラーナは「両親は学校の教師でした。この団地には才能のある若者が集められ、昔はとても活気があり良い思い出が残っています。ロシアの空爆が続いていて危険ですが、ここから離れたくありません」と話していた。
いつでも元気 2025.10 No.407
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