• メールロゴ
  • Xロゴ
  • フェイスブックロゴ
  • YouTube
  • TikTok

いつでも元気

いつでも元気

旅するわらべうた 新連載

文・写真 片岡伸行(ジャーナリスト、作家)

 

唄は世につれ・・・・

日本各地で歌い継がれ、
数世紀もの時を旅したわらべうた、
世代を超えて人々の心に残る唱歌や童謡。みなさんはどれだけ憶えているでしょうか。それらの唄が生まれた時代を
ともに旅してみましょう。

 

お正月

作詞・東くめ  作曲・瀧廉太郎

もういくつねると お正月
お正月には 凧あげて
こまをまわして 遊びましょう
はやく来い来い お正月

「童謡運動」の先駆となった児童文芸誌『赤い鳥』1918年(大正7年)の創刊号(復刻版) =国際子ども図書館蔵

「童謡運動」の先駆となった児童文芸誌『赤い鳥』1918年(大正7年)の創刊号(復刻版)
=国際子ども図書館蔵

 年末にお正月(別掲に1番)を口ずさんだ人も多いでしょう。この唄は1901年(明治34年)に「幼稚園唱歌」として発表されたもので、いわゆる「童謡」ではありません。
 わらべうた(童歌)や唱歌・童謡は「旧い時代の歌」とひと括りにされがちですが、それぞれ異なる歴史をもっています。まず、その違いを簡単に説明しておきましょう。

ドレミファと3拍子

 今は誰もが知る「ドレミファソラシド」ですが、1868年の明治維新に至るまで、多くの日本人は西洋の音階・音楽を聴いたことがありませんでした。
 ごく少数の日本人は16世紀の半ば頃、いわゆるキリシタン音楽としてのクリスマスミサ曲を聴いたり、日本人信徒が歌う聖歌を聴くなどの機会があったようですが、極めて例外的な事例です。
 音階だけではありません。日本では明治時代になるまで「3拍子」がありませんでした。ズンチャッチャ、ズンチャッチャという軽やかで優雅なワルツのリズムは、それまでの日本人の拍子の取り方にはなかったものです。
 この西洋音楽を広めるために、明治期から文部省の主導(いわゆる官製)で作られたのが「唱歌」。その唱歌に反発し、大正期にレジスタンス(抵抗運動)として民間の手で生まれたのが「童謡」です。
 そして唱歌や童謡が生まれる前に、列島各地で歌われていたのが「わらべうた」や「子守唄」ということになります。

思想統制の道具に

 官製の唱歌には、国の思惑が色濃く反映されました。文部省ができて10年後の1881年(明治14年)に発行されたのが『小学唱歌集・初編』。この中には、連載の中で紹介する蛍の光や蝶々など、外国の民謡に日本語の歌詞をつけた初期の「唱歌」が入っています。
 日清・日露戦争の前後には戦意高揚の軍歌が大量に作られました。明治終わりの1911年(明治44年)から1914年(大正3年)にかけて、小学1年生から6年生まで全6冊・120曲収録の『尋常小学唱歌』が発行されます。この120曲のことを「文部省唱歌」と呼びます。
 この中には今も愛唱される故郷や紅葉といった曲がある一方、思想統制の道具にされた唄も数多くあります。例えば明治天皇御製や靖国神社、何事も精神、日本海海戦、出征兵士、天照大神など、題名を並べただけで当時の日本政府が子どもたちに何を植えつけようとしていたかがわかります。

大正時代が童謡の最盛期

 これら官製による唱歌への反発として、自由・平等・民主主義の息吹が高まった大正期に興るのが「童謡運動」です。政治的・徳育的で文語体のお堅い唱歌ではなく、口語体(話し言葉)によって子どもたちの純粋な心を育む話と唄を—。それが童謡運動の趣旨でした。
 夏目漱石の門下だった鈴木三重吉が、1918年(大正7年)7月に創刊した児童文芸誌『赤い鳥』が先駆です(写真)。創刊号には芥川龍之介の「蜘蛛の糸」など当代の一流作家たちの創作童話が掲載されました。『金の船』『金の星』などの児童文芸誌も相次いで発刊され、童謡は大正時代に最盛期を迎えます。
 このように、童歌・唱歌・童謡はそれぞれの時代を背負って生まれ、歌われてきました。まさに「唄は世につれ」です。     
(つづく)

いつでも元気 2026.1 No.410