もう一度、自分の店を 東京
文・八田大輔(編集部)

渡邉孝浩さん(右)と妻の尚美さん
大繁盛の居酒屋を営んでいたものの、突然の病に倒れた渡邉孝浩さん。
「自分の味を、もう一度食べてほしい」という願いを支えた
民医連職員の取り組みを紹介します。
昨年11月2日、東京都足立区の介護老人保健施設・千寿の郷(東京民医連)で開催された柳原健康まつり。青空の下にたくさんの屋台が並び、多くの人で賑わいます。そのなかに「なべや」という赤のれんを掲げる屋台が。鶏の唐揚げが飛ぶように売れます。
レシピと味付けを担うのは、渡邉孝浩さん、61歳。「醤油入れた、にんにく入れた…。あ、愛情入れるの忘れてた」とジョークを飛ばしながら、「肉に味が染み込むまで、最低15分はひたすら揉み込んで」と、味に妥協は許しません。
孝浩さんは調味するのも卵を割るのも、右手だけで行います。脳出血の後遺症で左半身に麻痺があるからです。
仕事も趣味も〝料理〟
足立区柳原で生まれ育った孝浩さんは、高校卒業後「食べるものには困らないだろう」と、弁当屋でアルバイト。料理の面白さにのめり込み、以来、さまざまな飲食店の店長を任されます。
31歳で結婚。妻の尚美さんいわく「仕事も趣味も〝料理の人〟」。家の食事も全て作りました。
念願叶い、38歳で東京都多摩市に自分の店「なべや」をオープン。和洋中なんでもありの居酒屋で、毎朝仕入れる新鮮な魚が自慢でした。尚美さんと二人三脚で休み無く働き人気のお店に。しかし、開店からわずか1年半後の2004年、孝浩さんを病が襲います。
その日、いつものように一人で仕込みをしていたところ、突然転倒し意識を消失。開店時間に出勤した尚美さんに発見され、救急搬送された病院で開頭手術を受けます。脳動脈瘤の破裂でした。
一時期は両目も見えなくなるほど重篤な状態でしたが、発症から約2年後、柳原リハビリテーション病院(足立区)に転院。実家のサポートと尚美さんの献身的な介護を受けながら、孝浩さんはリハビリを開始します。
「なべや」復活
懸命なリハビリで歩けるようになるまで回復し、在宅生活を再開。病院の職員以外にも、夫婦を支えた人たちがいました。福祉用具の販売などを行う、福祉協同サービス足立営業所の職員です。
当時、営業所の職員だった鈴木恵子さんは、「孝ちゃんは大変な状況でも深刻にならず、いつも冗談ばっかり。一緒にいて楽しいんです」と、振り返ります。
「環境が変わって周りに親しい人もいなかったので、福祉用具のことだけじゃなくいろいろ相談しました」と尚美さん。「鈴木さんは姉のように話を聞いてくれた」と、心の支えといえる存在でした。
2022年、58歳の孝浩さんに再び転機が。千住介護福祉専門学校で調理実習の特別講師を担当することになったのです。
ケアサポートセンター千住のケアマネジャーで、孝浩さんを担当する馬場是さんは「当時はコロナ禍で孝浩さんの活動量も低下。主治医の提案もあり、本人の〝人生〟である調理に繋がることができました」と語ります。
学生からは「先生が自身の強みを活かして再び立ち上がる姿に、たくさんの勇気をもらった」との言葉が。孝浩さんは料理を通して〝生きる力〟を伝えました。
調理実習の講師を経て、孝浩さんに「もう一度、自分の店を出したい」との意欲が芽ばえます。馬場さんはケアサポートセンターと病院の職員でチームを結成し、出店を計画。2024年の健康まつりで「なべや」が復活しました。
自分らしく生きる
2回目の出店となった昨年の健康まつり。用意した20㎏の唐揚げは、見事完売しました。
「孝浩さんはいつの間にか輪の中心になって、みんなを明るくしてくれる。こちらが支えてもらっています」と言う馬場さんに、「何でもやりますよ。時給は5800円で」と笑う孝浩さん。
〝支援する側〟と〝される側〟ではなく、支え合い、自分らしく生きていく。民医連が考えるケアの実践が、ここにありました。
いつでも元気 2026.3 No.412
- 記事関連ワード
- 東京民医連
