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いつでも元気

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旅するわらべうた ミステリアスな人生の〝細道〟

文・写真 片岡伸行

通りゃんせの発祥地とされる小田原市の山角天神社に建つ歌碑

通りゃんせの発祥地とされる小田原市の山角天神社に建つ歌碑

2人で手をつなぎアーチ(門)を作り、
その下を子どもたちが通り抜ける
遊戯唄、通りゃんせ。
そのミステリアスな歌詞は、
さまざまな解釈を生んできました。

通りゃんせ (作者不詳)
 通りゃんせ 通りゃんせ
 ここはどこの細道ぢゃ
 天神さまの細道ぢゃ
 ちっと通して下しゃんせ
 ご用のないもの通しゃせぬ
 この子の七つのお祝いに
 お札をおさめにまいります
 行きはよいよい 帰りはこわい

 こわいながらも
 通りゃんせ 通りゃんせ

 江戸時代には各地に広まっていた通りゃんせですが、今のメロディは比較的新しいもの。東京・御徒町生まれの作曲家・本居長世(1885—1945年)が東京地方で歌われていた旋律をもとに、1921年(大正10年)に児童歌劇の挿入歌として編曲しました。

人生の通過儀式

 「通りゃんせ」は「お通りなさい」という意味。「天神さま」とは学問の神様と謳われた菅原道真を祀る神社のことです。現在も七五三として残る「七つのお祝い」は人生の通過儀式の一つで、7歳は幼児から子どもに成長する区切りの年。わが子が無事に7歳まで育ったことに感謝し、お札(御守り)を納めに(あるいは、もらいに)行く。七つの子をもつ親の視点で、その光景が歌われます。
 ただ、なぜ「ご用のないもの」は通さないのか。行きはよくても帰りは恐いのか…。このミステリアスな歌詞には、いくつもの解釈が生まれました。

関所や城内での問答か

 この唄は一説に「関所遊び」といわれ、天神様にお参りする親子と関所の門番(番士)との問答とされます。幕府が江戸防衛のために設けた箱根の関所は特に警戒が厳重で、関所破りは磔の重罪。通行手形がないと不審人物かどうか厳しい「吟味」(検査)がおこなわれたので、「こわい」思いをすることになります。
 神奈川県箱根町の芦ノ湖畔にあった箱根の関所から、20㎞ほど離れた小田原市の山角天神社と国府津菅原神社が唄の発祥地との説があり、いずれも天神様を祀ります。現在の感覚ではかなりの距離があるこれらの神社へ、厳重な関所を通って「お祝い」に出向いたのでしょうか。
 埼玉県川越市の三芳野神社が発祥地との説も。同神社は川越城(1869年頃に廃城)の本丸域内にあったため入場が厳しく、「ご用のないもの」は入れません。帰りも警護の侍に、携帯品を調べられるなど恐い思いをしたといいます。
 ただ、このように特殊な立地条件下の唄が全国に広まるとは考えにくく、唄の発生に近い明治時代末(1901年)刊の『日本全国児童遊戯法』にも、箱根や川越とのつながりを示す記述はありません。

寺子屋にもあった天神様

 学問の神様(天神様)は江戸時代の寺子屋にも祀られていました。「七つのお祝い」を経ると、ここで読み書きそろばんを習います。7歳より年少の幼児は「ご用のないもの」です。子どもらは約4年間、毎朝五ツ時(午前8時)から八ツ時(午後2時)か七ツ時(午後4時)まで、寺子屋で学びました。冬の帰路は夕闇が降り、恐い思いをしたでしょう。
 寺子屋に着目した若井勲夫・京都産業大学名誉教授は、この唄を〈大人の立場、見解が入ったわらべうた〉とします。幼児から少年少女になる「行き」は期待や喜びがある一方、学び成長するにつれ「帰り」には不安や葛藤、迷いが生まれる。けれども、ここを「通りなさい」と励ます親心が込められていると解釈します。
 やや深読みの感もしますが、そう解釈をするとミステリアスどころか、心温まる歌詞に思えてきます。人生は誰にとっても、先の見えないミステリアスな細道。そして今も昔も、子の行く末を案じる親心は変わりません。
 さあ、通りゃんせ!

(つづく)


かたおか・のぶゆき 
ジャーナリスト、作家。著書に本誌で連載した『神々のルーツ—「祈りの場」から見た古代日本』、近著に『神々のクロニクル—神社と天皇の内実』
(いずれも新日本出版社)がある

いつでも元気 2026.4 No.413