女たちのミャンマー
文・写真・三木 知子(写真家)

ピューピューエイ(右)に甘えるアウンアウンウー
頬の白い粉はタナカ(ミャンマーの伝統的な日焼け止め)
HIV陽性※という現実に翻弄されながらも、
母として、支援者として、
前を向いて生きるミャンマーの女性たち。
写真集『女たちのミャンマー HIVとともに生きる』を
刊行した写真家の三木知子さん。
「今」を生きる彼女たちの姿を伝えます。
2013年から19年にかけて、私はミャンマー南東部のモン州で、HIV陽性の女性を取材しました。彼女たちは受け入れがたい現実に直面し、差別や偏見にさらされ厳しい日々を生きています。それでも歩みを止めることなく、自分らしい道を見つけていました。
その一人、ピューピューエイは2人の男の子を育てています。3人の間に血のつながりはありません。共通しているのはHIV陽性ということ。ヤンゴン出身の彼女は、結婚後まもなく夫婦ともにHIV陽性であることが分かりました。感染の原因は夫にありましたが、警察官の彼は認めず、疑いの矛先は彼女に向けられました。実家でも病気への理解は乏しく、母親は彼女の食器だけを分けて使っていました。
夫はエイズを発症して亡くなり、全てに疲れたピューピューエイは、誰にも行き先を告げずヤンゴンを離れました。向かった先は、叔父の暮らすモン州。そこで出会ったのが、親をエイズで亡くした3歳と4歳の男の子です。どちらも母子感染でHIVに感染していました。
彼女は参加していた自助グループの孤児院計画の一環として、2人の世話を託されます。しかし寄付は集まらず、計画は立ち消えに。生活費の支援も打ち切られました。2人を施設に預けることも考えましたが、彼女がいないと不安で眠れない子どもたちの姿を目にして、離れることはできませんでした。
ピューピューエイは、2人と家族になる決心をします。生活費を稼ぐため、ゲストハウスに住み込みで働き洗濯屋も始めました。働き詰めの毎日ですが、子どもたちと過ごす時間が心の支えになっています。「生活は苦しいけれど、子どもを育てる中で人生の意味を感じられるようになった。今、私は幸せです」と語ってくれました。
内戦下のHIV対策
もう一人の女性、イーイーカインも厳しい現実の中で生き抜いてきた一人です。夫を早くに亡くし、ポリオに罹った息子の治療費を支払うため、セックスワーカー※として働く道を選びました。当時の彼女には、それしか方法がありませんでした。
仕事を始めて数年後にHIVに感染。現在は現地NGOのスタッフとして、セックスワーカーのためのHIV予防活動に取り組んでいます。かつての自分と同じ立場の女性に寄り添う姿から、女性をHIVから守るという強い思いが伝わってきました。
しかし現在のミャンマーでは、彼女たちが前を向いて歩み続けることは容易ではありません。2021年の軍事クーデター以降、政情不安が続いています。クーデター前は国家エイズ対策プログラムが強化され、抗HIV薬は無償で提供されていました。現在、プログラムは十分に機能せず、無償提供の体制も不安定です。
幸い、ピューピューエイと子どもたちは今も治療を継続できていますが、今後がどうなるかは見通せません。内戦の影響で経済活動は停滞し、食料や燃料などの価格も高騰。通院の交通費も取材当時の3倍に跳ね上がりました。
さらに24年2月には徴兵制が施行され、18歳以上の男性が徴兵対象となりました。彼女の子どもたちが18歳になるまであと3年。ミャンマーに1日も早く平和が訪れることを心から願います。
写真集を通して、彼女たちが歩んできた道とその背景にある現実を知っていただければと思います。そして、この写真集がミャンマーの現状に目を向けるきっかけになれば幸いです。
※ HIV陽性 HIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染している状態。HIVの感染によって免疫力が低下し、特有の症状を発症した状態をエイズという。
※セックスワーカー 性的サービスを提供する仕事に従事する人々を指す。

出版社:東京印書館
価格:2,970円(税込)
いつでも元気 2026.5 No.414
- 記事関連ワード
- ミャンマー
