旅するわらべうた 「籠の中の鳥」とは?
文・写真 片岡伸行

東武野田線・清水公園駅前にあるかごめかごめの歌碑。明治末期に現在の千葉県野田市に生まれた作曲家の山中直治が、地域で歌われていたこの唄を採録した
わらべうたの代表格かごめかごめ。みんなで丸くなって手をつなぎ、中央で目隠しをした子(鬼)の周りを回ってこの唄を歌いますが、歌詞は謎に満ちています。
かごめかごめ
(作者不詳)
かごめ かごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀とすぅべった
「うしろの正面だぁれ」
「鬼遊び唄」(人当て遊び唄)といわれるかごめかごめは、18世紀中頃(江戸中期)にはすでに歌われていました。ただ、後述するように当初の歌詞は異なっていました。
「屈め」か「囲め」か
まずは〝全国普及版〟の歌詞(別掲)を見ていきましょう。この不思議な歌詞には、さまざまな解釈が生まれました。
〈かごめ〉は「囲め」というのが現在では有力な説のようですが、明治期に官僚を務めた民俗学者の柳田國男(1875―1962年)は〈かごめ〉とは身を屈めよの「かがめ」で、「しゃがめしゃがめ」という意味だといいます。確かに輪の中にいる子は身を屈ませています。
そして柳田は、〈かごめ〉が鳥のカモメを連想させることから〈籠の中の鳥〉につながり、籠からいつ出るのかという問いの形をとった、と解釈します。
なるほどとは思いますが、だとしても〈夜明けの晩〉という未明の暗い時刻に、千年万年の長寿でめでたい象徴とされる鶴と亀がすべった、という意味不明な歌詞はどこから出てきたのでしょう。
鍋の底抜け
この唄は江戸時代後期の浅草の僧・釈行智が、18世紀後半に江戸で歌われていたわらべうたを採録した童謡集に載っています。ただ、〈夜明けの晩に〉以降の歌詞が次のように異なっていました。
〈つるつるつっぺえった
なべのなべのそこぬけ
そこぬいてたーぁもれ〉
〈鶴と亀〉でなく〈つるつるつっぺえった〉、〈うしろの正面〉ではなく「鍋の底抜け」「底抜いてください」です。
江戸時代の鉄鍋はよく底が抜け(穴が開き)、貴重な鍋を庶民は繰り返し修理して使いました。修理道具一式を担いだ鋳掛屋が「いかけ〜!」と声を上げて歩く姿は、明治・大正期まで見られたそうです。
さて、謎解き、読み解きです。
〈籠の中の鳥〉とは身売りされた女性で、それを「輪の中の子」に喩えたとの解釈は古くからありました。「鍋」は当時、「女陰」の隠語でもありました。また、この唄は遊郭の遊女たちが歌い始めた「投節」と呼ばれる、江戸時代の流行り唄が起源との説もあります。
以上のことを踏まえると、次のような情景が浮かんできます。
身売りされた女性の哀歌
遊郭(籠の中)に囲われ、性的行為を強いられる女性が心の中でこう願っています。「鍋の底が抜けるように穴が開いたなら、未明の暗さに紛れて、ここから抜け出せるのに…」。そんな読み解きができそうです。実はもっとリアルに、性的行為そのものの暗喩だという解釈もできますが、ここでは差し控えましょう。
いずれにせよ、元々は女性の置かれた理不尽な境遇を投影した大人の唄を、事情を知らない子どもたちが、「つるつる」という擬態語を「鶴と亀」に替えて遊び唄にしたのかもしれません。
「鬼」になった子どもが、背後の子の名前を当てる遊びは全国各地にありました。栃木・足利地方のわらべうた坊さん坊さんの歌詞の最後も〈うしろの正面 だあれ〉。京都地方の京の大仏さんも〈うしろの正面 何方〉です。目隠しをして後ろを想像するスリリングな感覚が、元歌の意図から離れ、この唄の広まったゆえんなのでしょう。
(つづく)
かたおか・のぶゆき
ジャーナリスト、作家。著書に本誌で連載した『神々のルーツ—「祈りの場」から見た古代日本』、近著に『神々のクロニクル—神社と天皇の内実』(いずれも新日本出版社)がある
いつでも元気 2026.6 No.415
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