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いつでも元気

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旅するわらべうた 12の音律と竹の響き

文・写真 片岡伸行

 これまで代表的なわらべうたと子守唄を紹介してきました。今回は少し趣向を変え、音楽の成り立ちを探ります。音楽は、どのようにしてできたのでしょう。

 まず、「こえ(声)」があり、それが「うた(歌謡)」になり、やがて「ことば(文字・詩)」が生まれます。この流れは世界共通のようです。漢字の発祥地・中国から、朝鮮半島を経由して日本に文字と音楽が伝わってきました。

「律呂」発祥の逸話

 音が音楽となるためには、しかるべき原理をもった音の規定が必要です。それを「音律」と言います。では、音律はどのようにして生まれたのでしょう。
 古代中国の王朝、秦の始皇帝の実父との説もある呂不韋が編纂し、紀元前239年に完成した全26巻の書物『呂氏春秋』の中に、こんな逸話があります。
 漢民族の祖とされる伝説上の王・黄帝から音律をつくるよう命じられた伶倫は、西方の崑崙山の北にある谷間で竹を採り、3寸9分の長さ(約14・78㎝)にして吹いた音を基準音に定め、これを「黄鐘」と名づけました。
 基準音の長さの竹を3分の1短くすれば5度上の音になり、3分の1長くすると4度下の音になります。こうした音律の算出方法を「三分損益」といいます。こうして「純正5度音階」を積み重ねて12の音律「律呂」を定めたのです。
 何を言っているのか分からない物言いを「呂律が回らない」と言いますが、この「呂律」とは「律呂」のこと。音の調子が合わない・狂っていることが転じて、このように表現されたのでしょう。
 不思議なことに、5度を単位に音を積み重ねる方法は、西洋音階の基本である紀元前ギリシャの数学者、ピタゴラスによる音律(ピタゴラス音律)と原理的に同じです。

日本に伝わった5音音階

 中国では12音律(1オクターブ)のうち5音を基本とし、「宮・商・角・徴・羽」と名づけました。西洋音階の「ド・レ・ミ・ソ・ラ」に相当します。世界各地で親しまれる五音音階(ペンタトニック)で、これを「呂の五声(呂音階)」と呼びます。
 中国の音楽は西アジアや中央アジア、インドの音楽を吸収しながら、「雅楽」と呼ばれる宮廷音楽や、「散楽」と呼ばれる芸能音楽に発展します。やがてそれは、朝鮮半島を経由し日本列島に伝わりました。
 列島には5世紀に新羅楽が伝わり、6世紀に百済楽、7世紀にかけて高麗楽や唐楽、仏教音楽が流入しました。皇室で奏でられる雅楽のルーツは、中国にあります。
 平安時代になると、中国の呂音階をアレンジして日本風の「律音階」(ド・レ・ファ・ソ・ラ)ができますが、呂音階はその後も日本の音楽の基本となりました。

わらべうたの発祥

 わらべうたがいつごろから歌われていたのか、よくわかっていません。民俗学の研究では、およそ中世(14〜16世紀の室町時代)から近世(17世紀以降の江戸時代)にかけて徐々に形を整えていったとされます。おそらくはそれ以前から、口伝えで歌い継がれていたのでしょう。
 民族音楽学者・小泉文夫は日本の音階を、民謡音階、律音階、都節音階、琉球音階の4つに分類しました(表)。このうち、わらべうたに多いのが民謡音階です。本連載で紹介したあんたがたどこさやかごめかごめなどが相当します。一方、通りゃんせは民謡音階に加え、都節音階的な半音の響きが混じっています。その歌詞とともに、ミステリアスな雰囲気を漂わせるのはそのためです。
 表に例示した曲を歌ってみれば、その印象の違いが分かるでしょう。竹の響きから二千数百年余、列島の風土に彩られ、豊かな音の世界が広がりました。
(つづく)


かたおか・のぶゆき 
ジャーナリスト、作家。著書に本誌で連載した『神々のルーツ—「祈りの場」から見た古代日本』、近著に『神々のクロニクル—神社と天皇の内実』(いずれも新日本出版社)がある

いつでも元気 2026.8 No.417