スラヴ放浪記 母への愛 ウカシュの物語
文・写真 丸山美和(ルポライター、クラクフ在住。ポーランド国立ヤギェロン大学講師)

ウクライナの人道支援の仲間。
右端がウカシュ、右から2人目が筆者
ポーランドでは、友人の家を気軽に行き来する。筆者はクラクフでひとり暮らしだが、クリスマスイブや新年、イースターと、一人で過ごした記憶がない。昨年のクリスマスイブは、ウクライナ人道支援の仲間、ウカシュ・ヴァントゥフ(48歳)の家庭におじゃました。
筆者がウクライナへ行くようになったのは、4年前にウカシュへインタビューしたのがきっかけ。当時、彼はクラクフ市議で、ウクライナ支援の一番手として脚光を浴びていた。
インタビューが終わると、ウカシュがおもむろに口を開いた。「明日、ウクライナへ一緒に行きましょう」。この一言が全ての始まり。ウカシュは計106回、筆者は64回もウクライナへ支援に行き、夜を徹して物資を運び寝食を共にしてきた。今では親族のような間柄だ。
ウカシュの家は筆者が住むアパートから歩いて10分ほど、勤務先の大学の通勤途中にある。朝起きると「寄りなさいよ」というメッセージが来る。授業を終えて立ち寄ると「おなか、空いていませんか」とご飯を用意してくれる。
筆者が食事をしている間、ウカシュは無言で仕事をしている。仕事が終わると、「所用で1時間後に戻ります。ミワさんはそのまま自分の仕事を」と言って、出かけてしまう。
彼は1日の多くの時間を支援のために費やしている。現在はクラクフ市長選に立候補しており、特に忙しい。頭の中には無数のアイデアがあり、市民のためにその力を使いたいと考えているようだ。
誰もいない家で、客である自分が居間にぽつんと座っている。家には貴重品もある。筆者を信頼してくれているのだろうが、いつも妙な気持ちになる。
ウカシュは常に知恵と力を他者のために使う。例えばウクライナの難民で衣服に困っている人に出会うと、その場で上着を脱いであげてしまう。どうして、こんな人になったのだろう?
ウカシュの自宅がある団地の隣には母のアンナさんが住んでいる。料理が上手で、これまで何度も筆者を食事に招いてくれた。ある日、アンナさんが「ウカシュには妹がいる。これがマウゴシャ」と言って、写真を見せてくれた。モノクロの古めかしい写真には愛くるしい少女の姿があった。
ウカシュが13歳の時、父親が運転していた車が事故に巻き込まれ、父親とマウゴシャが亡くなった。ウカシュは「もし、自分が一緒に乗っていたら、こんなことにはならなかった」と、自分を責めてばかりいたという。
2人の死後、アンナさんに一家の生計が重くのしかかった。アンナさんは小学校の教師だったが、それだけでは足りない。夫が営んでいた小さな商店を継ぎ、夜明け前に商品を仕入れてから、小学校へ出勤した。「ウカシュは授業が終わると、すぐに駆けつけ店を手伝ってくれました」。母と息子は助け合って生きてきた。
2人ともはっきりものを言う性格で、ときには激しい口論もするが、常に互いを思いやっている。夫と娘を失った悲しみ、苦しい生活、彼はずっとそばで、母を見つめてきた。
ウカシュは現在、クラクフでも生活に困窮した人や高齢者を助けている。どこからか大量の農作物や賞味期限直前の食品を調達し、地域で暮らす難民と高齢者に配布。ウクライナの人道支援では、戦闘にかかわるものでなく、高齢者や母子家庭、育ちざかりの子どもの支援を続けてきた。「最も支援の手が必要な人々を助けたい」。かつての母の姿と重なるのかもしれない。
そういえば少し前、ウカシュはSNSにこんな投稿をしていた。
「お母さん。これまでどれだけたくさん、一緒に涙を流しただろうか…。お母さん、ぼくはあなたが大好きです」。
いつでも元気 2026.9 No.418
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