旅するわらべうた 琉球民族の歴史と誇り
文・写真 片岡伸行

沖縄・八重山列島にある竹富島の海岸
三線の響きに乗せて、
独特な琉球音階(前号で紹介)と
方言で歌われる沖縄の唄。
唄に込められた「しまんちゅ」(島の人)の思いは、
琉球王国の歴史と無縁ではありません
てぃんさぐぬ花(わらべうた・作者不詳)
てぃんさぐぬ花や
爪先に染みてぃ
親ぬ寄し事や
肝に染みり
天ぬ群り星や
読みば読まりしが
親ぬ寄し事や
読みやならぬ
日本政府は認めていませんが、沖縄や奄美、先島は国連が列島の先住民と認定する「琉球民族」の島々。近代に至るまで琉球王国(1429〜1879年)という独立国の立場を保持し続けた誇りが今も生きています。
その伝統的な唄の数々は奄美諸島の「島唄」とともに歌い継がれてきました。
親の愛情と教訓
作詞・作曲者不明のてぃんさぐぬ花(別掲)は子どもへの親の愛情と人生訓を歌う「わらべうた」で、2012年に沖縄県の「県民愛唱歌」に指定されました。
「てぃんさぐ」とはホウセンカのこと。その赤い花が爪を赤く染めるように、親の教訓も心に染みます。天の星々を数えることができても、親の教訓は数えきれないと歌うのが2番。「八八八六」の30文字をくり返す「琉歌形式」の唄で、歌詞にはいくつかバリエーションがあります。
〈誠する人や 後や何時迄ん 思事ん叶てぃ 千代ぬ栄〉=誠実で正直な人は後々までも希望が叶えられ、末永く栄える
〈あてぃん喜ぶな 失てぃん泣くな 人ぬよしあしや 後どぅ知ゆる〉=有っても喜ぶな、失っても泣くな、人の善し悪しは後々にこそわかる
〈行ち足らん事や 一人足れい足れい 互に補なてぃる 年や老ゆる〉=行き届かないことは互いに助け合い、補って歳をとる
子どもによる口承の唄というより、大人が子どもに歌って聴かせる形で伝承されてきたことが分かります。世代を超えた、唄による人生知の継承です。
赤田首里殿内(沖縄民謡・作者不詳)
赤田首里殿内 黄金灯籠下ぎてぃ
うりが明かがりば 弥勒迎け
(※)シヤープー シヤープー
ミーミンメー ミーミンメー
ヒージントー ヒージントー
イーユヌミー イーユヌミー
大国ぬ弥勒様 吾が島にいもち
うかきぶせみしょり 弥勒世果報
(※繰り返し)
弥勒世ぬ昔 繰い戻ぅち今に
御万人ぬまぢり 遊ぶ嬉しゃ
争いのない世界を
14世紀末の築城とされる首里城は、琉球王国の王都・首里にあった王城。沖縄民謡の赤田首里殿内は、その城下町・赤田地区の祭礼で伝承されてきました。地域や世代によって歌詞の内容は異なるようですが、ここでは歌手の夏川りみの楽曲で歌われる歌詞を別掲に記しました。
「黄金色の灯籠に明かりが灯ると、弥勒様のお迎え」。そう始まる歌詞の、最後の部分が印象的です。
「争いのない昔を今に取り戻そう。世界中の人と交わり、遊ぶ喜びを」。
仏教において弥勒は、未来にこの世に現れて人々を救済する「未来仏」。その未来仏を迎え、争いのない喜びの世界を取り戻そうと歌われます。
琉球王国は中国をはじめ朝鮮、日本、東南アジア諸国と幅広く友好を結ぶ平和的な国でした。しかし、1609年に薩摩藩の軍勢3000人が侵攻し首里城を占拠。以後、薩摩・徳川幕府の支配下に置かれ、1879年(明治12年)には明治維新政府が軍隊と警察を送り、琉球王国を滅亡させます。
今も続く苦難の歴史
近世・近代の屈辱的な歴史に加え、太平洋戦争末期に国内最大の地上戦が展開され、沖縄県民と兵士合わせて約20万人もの命が犠牲になりました。さらに戦後、日本の国土面積のわずか0・6%の沖縄県に、現在も全国の米軍専用施設の約7割が集中し、「ミサイル部隊」も配備。島全体が戦争基地になっています。
ザ・ブームの宮沢和史が島唄で歌う「くり返す悲しみ」という言葉からも、琉球民族の苦難の歴史が想起されます。
独特の響きをもつ沖縄の唄が、私たちの胸を打つのはなぜでしょう。「やまとんちゅ」(日本本土の人)が忘れてしまった、「うちなんちゅ」(沖縄生まれの人)の歴史への自覚と誇りが脈打っているからなのでしょう。
(つづく)
かたおか・のぶゆき
ジャーナリスト、作家。著書に本誌で連載した『神々のルーツ—「祈りの場」から見た古代日本』、近著に『神々のクロニクル—神社と天皇の内実』(いずれも新日本出版社)がある
いつでも元気 2026.9 No.418
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