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いつでも元気

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スラヴ放浪記 「学生諸君、今日も行くか」 酒場の議論

文・写真  丸山美和(ルポライター、クラクフ在住。ポーランド国立ヤギェロン大学講師)

今学期最後の授業の後に繰り出した酒場。ここもやっぱり地下だった

今学期最後の授業の後に繰り出した酒場。ここもやっぱり地下だった

 午後8時過ぎ。大学の講義を終えて建物を出ると、学生がベンチで待っている。筆者はニヤニヤしながら近づき一言。「学生諸君、今日も行くか?」。
 筆者はポーランドのクラクフにある国立大学に勤めている。学生の〝出待ち〟の慣習は、筆者が毎週水曜日に担当している「日本の社会問題」の授業から始まった。 最初の授業は全体の流れや課題の説明のみで早めに終えた。すると数人の学生が寄ってきて、「これから軽くビールを飲みに行きませんか?」と誘う。筆者のビール好きは、いつの間にか学生の間で有名になっていたのだ。
 以後、水曜の夜は寄り道をせずに帰宅したことがない。水曜日は大学の授業のほかに、日本の新聞で連載中の記事の締め切り日にあたる。夜明け前に起きて仕事をしており、夜には疲れがピークに達する。翌日の木曜も朝から別の授業があり、その準備もしなければならない。
 本心はすぐにでも帰宅し、明日に備えて就寝したい。しかしどうしても断れない。学生たちがかわいくて仕方ないのだ。

 授業の回数を重ねるごとに、出待ちの人数も次第に増えた。学生はクラクフにある安い酒場をよく知っている。旧市街の建物は築数百年と古いため、一歩入ると迷路のようだ。「この先に酒場などあるのか?」と思うほど、狭い階段を地下深くまで降りる。すると突然視界が開け、大勢の客がビールを片手に歓談している。
 喧噪の中をすり抜け、誰かが空いている一角を見つけ素早く陣取る。古くて小さなテーブルの周囲に10人以上も座る。ぎゅうぎゅう詰めでも誰も不平は言わず、むしろ嬉しそうだ。
 ポーランドでは、酒場でつまみを食べる習慣がない。ビールを片手にひたすら議論する。議論は次第に熱を帯び、時間があっという間にたつ。 
 ある日、午後から嵐がやって来た。雷鳴がとどろき、冷たい雨が横殴りに教室の窓を叩く。学生に「さすがに今日は帰ろうか」と促した。すると「いいえ、先生さえよければ行きましょう」。学生は傘をさしているが、雨で肩や靴が濡れている。けなげで断れない。
 翌週は筆者が学会発表のため休講。ところが、授業も出待ちも無欠席の学生からメッセージがきた。「先生の学会はいつ終わりますか」。一瞬目を疑ったが、学生は大真面目。学会の晩さん会を抜け出し、急いで店へ向かった。

 筆者だけなく、学生にも明らかに疲れが見える日もある。彼らの多くは働きながら学業と両立し、加えて他大学に通う人もいる。彼らもまた、必死に学業と人生を切り盛りしている。
 「今日は早く帰ろう。一杯だけにしよう」。ちょっと高めのビアホールでクラフトビールを頼んだ。このビールがまことにうまく、一同感激して一杯では止まらなくなった。話も止まらなくなり、気がつくと背後に従業員が。「すみません、閉店です」。日付が変わるのも、店の明かりが消えるのも気づかず、夢中で話し続けたのだ。
 学生と話すテーマは、いま関心を持っていること、学業の計画、そして卒業後の夢。例えばある学生は、大学に8年間も在籍し数個の修士号を取得。学業の傍ら旅行会社に勤務し、教会のオルガニストを目指して音楽大学にも通っている。学びや挑戦に限界などない。学生は常に前を向き、未来の話ができる。筆者にとって、これほど幸せなことはない。
 今学期最後の授業が終わると、学生全員が満面の笑顔で待っていてくれた。酒場を目指して練り歩く一行の姿は、まるで団体ツアーの観光客のよう。学生の友人や家族も入り混じる大宴会で、筆者は出待ち無欠席の学生を表彰し全員で拍手を送った。

いつでも元気 2026.10 No.419